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◆《娘が消えた!》
 部屋着にする冬物のズボンを買うために試着室に入っていると、カーテンの下からむすめが顔を出した。くりくりっとした瞳が好奇心で輝いている。「ぱぱ、なにしてるの?」というので、「ズボン穿き替えてるの。ここは狭いから入れないよ」というと、キャッキャと言いながら出ていった。
 今年の春にオープンしたこのスーパーは、駐車場まで含めたファミリーレストランの跡地に建っている。三階建てで、一階が食料品、二階が衣料品、三階が日用品の売り場だ。特に三階には、食器や台所用品の他に、薬や化粧品、書籍に子どものおもちゃまでおいてあり、便利だったり迷惑だったりする。とはいえ、ひととおりの買い物ができてしまうことと、地階が実質無料の駐車場になっていることは、家族連れでの買い物には非常に好都合だった。スーパーを走り回る所だと思い込んでいる娘も、ここに来ることを楽しみにしていた。
 このときも、娘は妻のキルティングのハーフコートを着たまま、裾をひきずるようにして衣料品売り場を走り回っていた。シンデレラや白雪姫といったディズニーものにかぶれて、「ひめのどれす」といって丈の長い服をやたらと着たがるのだった。

 しばらくして……といっても一分も経っていなかったが、試着室の前にいた妻が「あっちゃん?」と呼ぶのが聞こえた。妻は、私の母親と二人して、色違いなど他のズボンを持ってきたりしてくれていたのだ。あたりを見回すような間の後、もう一度「あっちゃん?」と呼ぶと、試着室から遠ざかっていく気配がした。
 私のほうは、買うものが決まったので、自分のズボンに穿き替えて試着室からでた。フロアを見回すと、子どもを探す妻の姿が見えた。まだ見つからないらしい。一回りして戻ってくると「どこ行ったんやろ、おれへん」と言い、また「あっちゃん?」と呼びながら探し始めた。私も歩き始める。とはいえ一分もほっておいたわけではない、そのへんからキャッキャと走り出てくるだろうと思っていた。

 二、三度フロアを回って帰ってきたとき、妻の顔はひきつっていた。
「どこ行ったんやろ。……とにかくいっぺん下も見てくる」と言い残して、エスカレータの方へ走っていった。
 私の母親が見るからに心配そうな表情で「おれへんの?」ときいてきた。「そうらしい」としか言えない。「そんな、どっこも行けへんわ。探してるみたいやったから先に階段のとこに立ってたけど、誰も通れへんかったし。ちょっと見てきたるわ」と言って、そのまま二階のフロアを見回り始めた。私も違う方向からもう一度見回ってみる。
 衣料品売り場には、たくさんの服――しかも冬物の服――がつり下げられていて死角だらけだった。そのつもりですべての通りにていねいに目を通していく。バーゲン品のワゴンの下、下着やストッキングを並べた台の隙間なども覗き込んで調べていった。が、やはり娘の姿はなかった。
 脈拍が早くなってくるのを感じながらフロアを一周して戻ってくると、妻がこの階の責任者のような人と話をしていた。迷子の告知のために、子どもの服装を説明していたのだ。ちょっと早すぎるような気もしたが、もしもなにかが起こったのならたしかに早く手を打つにこしたことはない。母親のほうがずっと行動力に富んでいるということだ。とんでもないことになっているのかもしれない――などという言葉を心の中で反芻してばかりいる父親とでは子育てに関する皮膚感覚が違うのだろう。「とにかくお店の人に言うてん。放送してくれるて言うてはる。ほんまにどこいったんやろ」と言った妻の、最後のほうの言葉は少し涙声になっていた。
 ほどなく、「深緑色の大人用のコートを着た、三歳の女の子をご家族のかたが探しておられます。お心あたりのかたは……」という館内放送が流れた。それを聞く私の母親の顔は青ざめて、疲労が浮き出ていた。元来が高血圧で、心臓も強いほうではない。それでなくとも七十歳を超えた身には過酷なストレスだろう。ベンチにでも座っていれば、と言いかけたが、もう一度階段のほうを見てくるといって行ってしまった。(次のページへつづく)