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2000年1月1日
◆《元日》

 なんと風邪をひく……わけにはいかないので、一日中ごろごろ。

2000年1月2日
◆《妻の実家へ》

 午前中、兄夫婦が訪ねてくれる。おねえちゃん大張り切りの巻。
 兄夫婦が到着する前から相当にハイテンションで、ワンマンショーを演じてくれていた。部屋の電灯を消して、ソファに乗り、歌を歌ってくれる。
 到着したあとは、誕生日のお姫さまドレスに着替えて、シンデレラのダンスの一幕。ていねいなお辞儀のあとでワルツを踊り、途中で12時になると靴を片方おいて立ち去ってしまう。とびらのむこうでドレスを脱いで待っているところに靴を持って訪ねると、もう片方を差し出してくれる。そこで抱き締め合って幕となるのである。
 これに王子さま役としてかりだされ、とうとう人前で演じさせられてしまった。

 午後は妻の実家へ。にぎやかに過ごした。
 夕方、近所の公園へ、子どもたちと一緒に犬の散歩についていく。放してもらった犬が子どもたちを追いかけまわして、大騒ぎだった。もちろん犬は遊びたいだけなのだが、じゃれつくと前足が子どもの頭や肩に届くぐらいなので、子どものほうは怖いようだ。「ぱぱ、たすけて〜」と言いながら逃げ回るのだが、哀しいかな、パパはまだ足のケガが癒えずに走れないので、見殺しにするのだった。
 欲しかったわたあめ作り機のおもちゃまでもらうなど、妻の弟や妹たちからとても良くしてもらって、むすめもその親も大満足の一日だった。
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2000年1月5日
◆《かかとをつける》

 肉離れのためにテーピングを10日間ほど続けたが、そろそろやめることにした。皮膚がかぶれている上に、テープの接着剤を取り切れず、一旦貼るとはがすのが大変になってきたからだ。リムーバーを買えばいいのかもしれないが、もう治るもう治ると思うと、キンチョールのようなスプレーはどうも大仰な気がしてなかなか買えない。
 やめるとどうしても踵がついてしまうが、そろそろ大丈夫そうだ。
 ……と思って子どもと公園にいった。
 しょっちゅう会うのに住所を知らないお友だちのお母さんに年賀状を渡そうと思い、むすめに持っていかせると、フラフラ〜と他の方向へ走り出してしまった。あらら、他の人に渡してしまうとややこしいゾ、と思った瞬間、走り出してしまう。途端に激痛。
 ダメ。まだ全然走れない。
 また悪化させたか!?と、怖くてたまらない。

2000年1月6日
◆《恐るべき妹!》

 泣いてはいたのだが、ウンチしていることに気づかずそのままあやしていると、突然ギヤーッという声に変わった。音量も迫力も数倍に跳ね上がり、まるで殺される!と訴えていそうな声だった。
 呆気にとられているうちにも、どんどん真っ赤になっていく。しかも一声ごとに泣き声のボリュームが上がっていくようだ。似たようなことはよくあるのだが、あっさりとそのラインを超えてしまった。異常だった。異常な声で、異常に真っ赤になっていく。赤ちゃんとはいえ、得体の知れない怒りが伝わってくるようだった。
 あわてた妻とオシメを換えるなどしているうちに泣き声はなんとか収まったが、それでも顔色はなかなか戻らなかった。

 小一時間ほどして、ようやく落ち着いた妹さん。
 その顔を見ながら、あの泣き方は一体なんだったんだろうなどと思っていると…… なんと、顔にぽつぽつと赤い点があるではないか!? 4、5個の小さい点だが、よぉく見ると1ミリぐらいの毛細血管の模様がわかったりもする。見れば見るほど、そんな毛細血管が切れて血がにじんだような感じだった。……それにしても、比喩的に「ケッカンが切れる」などという言い方はするが、この赤ちゃんはほんとに切ってしまったのか? コ、コワ……。

2000年1月7日
◆《肉離れ(そろそろ……)》

 やっと足の内出血の赤や紫が消えてくれた。ケガをしてから三週間になる。
 そろそろ良くなってくれるだろうと期待しているのだが、鬱血が残っていて、膝の裏をはじめとしたいろんなところに張りと痛みがある。極力負荷をかけないようにしてきたので、筋力も落ちている感じ。それでなくても正月の食べすぎでなまった体をひきずって、これから戻していくことを思うと気が滅入る。

2000年1月8日
◆《気管支炎》

 上の子が少し深い感じのセキをし始めたので医者へつれていくと、気管支炎をおこしているといわれた。また風邪かぁという感じだったのが、気管支炎という言葉になると響きが重い。肺炎にしないように注意せよとのこと。
 夕食時、薬を飲まそうとあれこれ試みるが、「からい(苦い)」といってどうしても飲もうとせず、しまいには泣き顔になってしまった。ジュースに混ぜたりしてあるのでそんなに苦いわけがないやないか……と思って味をみてみると、本当にとんでもなく苦い! 飲めた代物ではなかった。
 想像するに、糖衣処理?してある顆粒が水などに溶けると本来の苦さが出てきて、そのまま飲むよりも余計に苦くなるのではないだろうか。本当に大人でも飲めないほど苦い。こういうとき、よく確かめずに叱りつけてしまった父親というのはカッコ悪いことこの上ない。子どもに申し訳ない。

2000年1月10日
◆《紙芝居》(絵本めも Vol.7,8)

 昨日図書館へいき、絵本と紙芝居を借りてきた。病気療養中でもあるので、紙芝居でもしてやるかというところだ。
 借りてきたのは以下のとおり。

「わたしとあそんで」(マリー・ホール・エッツ文絵、よだじゅんいち訳/福音館書店)
「もけらもけら」(山下洋輔文、元永定正絵、中辻悦子構成/福音館書店)
「みんなであそぶわらべうた」(近藤信子編、梶山俊夫絵/福音館書店)
「みつけたぼくのにじ」(ドン・フリーマン文絵、大岡 信訳/岩波子どもの本)
「ケーキだほいほい(紙芝居)」(脚本:堀尾青史、画:久保雅勇/童心社)
「へんてこおじさん(紙芝居)」(作:前川かずお/童心社)
「よくばり王さまのふしぎなかんむり(紙芝居)」(作:小沢 正、画:夏目尚吾/教育画劇)
「ジャックとまめのき(紙芝居)」(脚本:堀尾青史、画:かみやしん/童心社)

 「よくばり王さま……」を上演?していると、最後になってトコトコとこちらにやってきて、「どうなってるの?」という。「なにが?」ときくと、「どうなってるんだろうとおもって」とますますのぞき込んでくる。ははあと思って「いくらでも続きがでてくるから不思議になったの?」ときくと、「うん。どうしてずうっとでてくるのかなぁとおもって」という。
 実は、紙芝居を借りるにあたって、そうしたほうがいいと書いてあるので、段ボールで「舞台」を作った。その成果は予想以上で、子どもはすんなりと観客になってくれるのがよくわかった。ただし、ウチの場合は「テレビをしてよ」と言うのだけれど。その段ボールの中から彼女の想像以上にいくらでも次の絵が出てくるので、不思議になったようだ。
 ……いつまでもこんなふうでいてほしいなぁ。

 ちなみに前回書き忘れた図書館の絵本のリストは、
「あさえとちいさいいもうと」(筒井頼子作、林明子絵/福音館書店)
「かえるのつなひき」(儀間比呂志作絵/福音館書店)
「こわがりトミー」(クラウス・バウムガート文絵、いけだかよこ訳/西村書店)
「サンタクロースのお手伝い」(カトリーン・ジーゲンターラー文、マルクス・フィスター絵/新教出版社)
「サンタさんへのてがみ」(ハイアウィン・オラム文、トニー・ロス絵、ゆあさふみえ訳/ほるぷ出版)
「あかちゃんこんにちは」(長谷川摂子文、沼野正子絵/福音館書店)
「アンパンマンとちくりん(紙芝居)」(やなせたかし/教育画劇)
「りすさんのどんぐりさがし(紙芝居)」(花澤慎一作、田沢梨枝子画、解説中村浩)

 アンパンマンの紙芝居を発見されて、借りるのを強要されてしまった。
 絵本のほうは、どうも難しすぎるものが多かったようだ。何回か読んだのは「あさえとちいさいいもうと」「あかちゃんこんにちは」ぐらい。「かえるのつなひき」などは、沖縄の民話でなかなかおもしろいと思ったのだけれど。


◆《最近のことば》

 『ぱぱしゅき』
 「パパ、好き」。最近ちょいちょいこう言って喜ばせてくれる。
 しかしふと顧みると、たいてい背中のほうからこの言葉をきくような気がする。ひょっとして「パパがお馬さんになってるときに好きなの?」ときいてみると、あっさり「そうよ」。(2000.1.7)

 『こわいこえはいやだ』
 たしかに、妻とわたしでは子どもを叱るときのタイミングが違う。もしかするとお互いに「こんなことで叱らなくても」と思ってたりして。いやいや、わたしがそんなふうに思うのはほんとにまれなことだけれど……。
 それはさておき、最後の砦として父親が声をあげるときは、子どもは事実上絶対に従わなければならない。そういうモードの声を出すと、最近はこう言ってまず防御線をはろうとしてくる。
 ほんとは父親もこわいこえはいやなんだ。自分の子どものころのことを棚の上にほりあげるみたいだし、慣れられてしまったらどうしようとも思うし。(2000.1.9)