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2月5日の産経新聞朝刊に、しつけに関する文部省の調査の記事が出ていた。日本の子どもは社会のルールや道徳心に関して、外国(韓、米、英、独)に比べて家庭でしつけられていないという結果が出たとのこと。特に父親がしつけをしないとも書いてあった。
あっさり言ってくれるなぁ……。
ともかくしつけと一言で言っても、内容はさまざまだろう。同じことを口うるさく繰り返しさえすればいいのなら楽だが、そういうわけのものでもない。子どもとの関わりという点では人間関係の一つだから、相手との距離感や、お互いの立っている位置を確認する作業も必要になるだろう。要は相手次第。だからしつけの前に相手を分析するのだけれど、自分の子どもであるという責任上、まず親としての自分を分析することからになる。
これがけっこう大変だ。特に最初の子どものときには、分析の参考や基準になるものが自分の中にないから一からの作業になる。もちろん個人差はあるだろう。想像だが、育った家庭での親子関係のとらえ方によってずいぶん違うような気がする。こんな父親になりたいとか、こんな親子関係になりたいと真剣に考えた経験があるだけでも、一から始めるのとは違うだろう。
子どもが生まれてからつくづく思うのは、そういったことを考えた経験が自分にはまったくと言えるほど無かったということ。それはもちろん自分の責任である。ただそれと同時に、それまでの学校や社会から家庭観や父親観をあまりにも問われなさすぎた、または話題にならなかったために、考えるきっかけそのものを逃していたという思いもある。
たとえば DINKS というライフスタイルがもてはやされるようになったのは、結婚した頃からだった。なんとなくそんな空気に浸っているだけで、「べつに子どもがいなくてもいいか」ぐらいの気持ちになったこともたしかである。ぼーっとしていると、自分が父親になるのかどうかをまじめに考える機会さえ、ないままにきてしまうわけだ。
父親としてどうあるか的なことを、カッコだけでも考えるようになり、少しずつでも整理がついてくると、子どもとの距離感もそれなりにつかめてくる。そうすると、今度はそれを元にしてもう少しカッコつけてみる。子どもの成長につれてそんなことを繰り返しているうちに、自分なりの父親観みたいなものも形になってくるのだろう。叱りつけたことを自分でやっていたりするとカッコがつかないので、あれこれと自分のルールも増えてくる。……といって、そんなにすぐにカッコのいいおとーさんになれるわけもないのだが、せめて父親観だけでもハードボイルドでないと、父親はつとまらないのかもしれない。
要は、そんな父親観、家庭観や家族観が希薄だから、しつけどころではないのかもしれないなぁ。
そういえば、こないだは「国家観が欠如しているので、日本は世界から信頼されない」みたいなことが新聞の見出しになっていた。といって、〜観なんてそんなに簡単に形成できるものではないよなぁと思ったりした最近。
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