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わたしの母の誕生日。七十何回目かは本人もあまり思い出したくもないだろう。とりあえず元気でむかえてくれたことはありがたい。
トシをとるほどに祖母に似てくる。……のは当然か。
祖母の記憶はわたしが高校生のときで終わる。脳血栓で倒れて意識不明となりそのままだった。徹夜でついていた病院では、一晩に四人の人が亡くなるのを眺めて過ごしたこともある。心臓マッサージを間近で、立て続けに見たのもそのときが初めてだった。葬式のとき、祖母の性格を「竹を割ったような」という人が多かったのも印象に強い。
三人姉弟の長女である母は、その時点ですでに二人の弟を見送っていた。祖父も早くに亡くなり、そのときの祖母の死で、親と兄弟のすべてが先立ったことになる。そして九年前に父を見送った。室戸台風で倒壊した校舎の中に居ながら九死に一生を得、戦争では空襲の中を逃げまどい、高度成長期には病気を患い、「三回は死にかかったなぁ」と話すことがある。
妻はそんな母と一緒に暮らすことを当然のように受け入れてくれた。だからといって、何もかもが順調だったわけでもない。祖母のように竹を割ったようなところがあるとしても、割った竹がささくれだっていることもあるだろう。ささくれをとってやろうとして余計に引き裂いてしまい、つらい思いをさせたこともあった。とにかく、なんとかまた一年を乗り切ったというところだろうか。
そして明日は妻の誕生日。
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