|
幼稚園の参観日。みょーに気合いの入った妻と、当然ながら下の子も一緒に連れていった。
最初は朝礼。へぇー、朝礼なんてあるんだ、自分のときもあったのかなと思いながら見ていると、一人、男の子が泣きじゃくって父親に抱かれたままでいた。相当に激しい泣き方だが、やさしそうなお父さんだ、悪びれもせずに園庭のまん中でずっと息子さんを抱いている。結局、先生のお話やら体操やらのあいだずっとパパと一緒。それがどういうわけか気になって、見ているうちになんだか羨ましいような感覚にとらわれてしまった。いい思い出になるだろうな。今だったら全然許される振る舞いなわけで、しかもあんなお父さんと一緒なら、きっといい子に育つだろう。
参観とはいうものの内容は「母の日」特集で、教室ですることにも母親との共同作業が用意されていた。へぇー、母親のいない家庭の子などは寂しいだろうなぁと思うが、全員出席されていたようでなにより。
それにしても先生の声はでかかった。かねてから最近の幼稚園の先生はどうしてああも若い人ばかりなのだろうと思っていたのだが、その理由の一つがわかった。あの音量で喋りつづけるには相当な体力がいるだろう。若くないとあのパワーは続かない。ちなみにわたしは町工場の機械の騒音の中で生まれ育ったし、長い間ロックバンドなんかもやっているから地声のでかい人はよく知っている。その基準からいっても、娘のクラスの先生はいい声をしていた。そのことに感心すると同時に、娘がたまに「せんせいはおこったらこわいよ」と言う理由もわかった気がする。
しかし、それほどまで大きな声がいるのか……。
幼稚園児に集団生活をさせようとすると、それだけの声が必要になるということだろうか。もし、わたしたちの世代の幼稚園の先生の平均年齢が高く、それほどまでの大声を出す人もいなかったとすれば、今の幼稚園児に対してそれだけの声の力が必要になってきたということになるのだろうか。または、先生のほうが声の力の部分に頼るからだろうか。
どちらにしても、母親との共同作業を見ているだけではそのへんのことまではわからない。その前に下の子を一時間以上抱き続けたおかげで肩と腕がガチガチだ。
午後、娘をつれてわたしの母とスーパーに買い物に出る。
何が食べたい? べつに何にも……みたいな話を母としていると、ふと見るとカートごと娘がいなくなっている。まさかと思ってフロアを一回りしてもいないと、にわかに緊張した。とにかく外を確かめる。これはさすがに大丈夫そうだった。となると他の階だが、あわててウロウロするのもどうかと思うので、駐車場や休憩所などのポイントだけ確かめる。やはりいない。このへんで顔から血の気がひいていくのがわかってくる。
(あのバカ! 一人でどこへ行くっちゅうねん……)
と思いつつも、二歳のときに同じスーパーでいなくなったときの感覚がどんどん蘇ってくる。
(やばいなぁ、このままもし見つからなかったらあいつ(妻)になんて言おう)
(あいつだったらもうこの時点で店員さんに言うかな。けどなぁ、なんせ二回めになるからなぁ)
みたいなことを考えながら五、六回もフロアを調べたころ、泣きながら走る娘を母が見つけてくれた。やれやれだ。一人になったと気づいた時点で、すぐに地下の駐車場へ直行したという。なるほど。この際ということで、はぐれたと思ったらどうするかを念入りに決めておいた。
こんなのはもうごめんだ。
|