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2000年6月6日(火)
◆《あふれる「パワー」》

「あかん、パワー切れてきた」と、徹夜マージャンの明け方に友人が言ったときは、自分をゲームのキャラクターになぞらえているみたいで面白かった。かれこれ二十年(!)ぐらい前の、コンピュータゲームが最初に広まった時代の話。それまでにも使っていた言い方なのかもしれないが、面白いと思ったことはよく覚えている。以後は友だち内を中心に日常的に使う表現になった。

 子どもが生まれてからも「パワー」という言葉を意識した。次から次へと遊び続ける姿は「パワーがある」や「パワフル」という表現がぴったりだ。疲れたり眠くなったりすれば「パワー」が切れてきて(わが家では「電池が切れてきた」という表現も愛用された)、食べて眠ると復活する。そのプロセスも心理的なものなどがあまり入らず、エネルギーの補給とパワーの関係がはっきりしていてとらえやすかった。

 幼稚園でのことは先月の母親参観とこないだの父親参観しか知らないのだが、その両方の、朝礼という場面で「パワー」という言葉が出てきた。特に先月、進行役をしている先生が鯉のぼりの方をさして「さぁ、みんなの『パワー』があの鯉のぼりに伝わるように、大きな声で歌いましょう」と言われたとき、ふと、昔風(?)なら「みんなの『元気』」や「みんなの『エネルギー』」というところかなと思った。もしそうならその「パワー」と「元気」の差はなんだろうと考えたのだった。
 朝礼の他、担任の先生もよく「パワー」を使う。「すごい『パワー』!」をはじめとして、「みんなの『パワー』に負けてしまいそうです」「ちょっと『パワー』無くなってきたかなぁ?」「もうちょっと『パワー』出してがんばってね」など、両日とも一日(二時間ほど)で十回やそこらは耳にしたかもしれない。

 自分でもよく使うくせに、幼稚園で聞くにはちょっと頻度が高いような気もする。
 たとえば「パワー」と「元気」で言えば、重なる部分があるとしても、そうでない部分もあるだろう。辞書では「元気」は「活動のもとになる気力」などとあり、原意的には「万物生成の根本となる精気」だそうだ。細かいことはともかく、単純に「パワー」に置き換わる感じはしない。もしそのように置き換えるなら、子ども(人間)の持っている神秘的なほどの成長のエネルギーのうち、すぐに「力」とつながるような表層の部分ばかりに意識がいってるような感じがする……というのはさすがに大げさかなぁ。
 力まかせの話題にはことかかない時代なだけに、子どもにとっての唯一の公の場である幼稚園ぐらいは「パワー」、「パワー」と連呼しないで欲しいような気がしたわけなのだが。


♪ with "Forcefield" / Forcefield