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今年初めての花火をした。梅雨も明けたし、幼稚園も休みだったし、いよいよ夏本番というところだ。
と、気合いは十分だったのだが、なんとおねえちゃんは花火が怖いと手に持つことさえできなかった。持たせないと承知しなかった去年のことを思うととてもふしぎ。この一年でなにを知ったせいなのだろう。
先日のピュア猿人への投稿について、「素人チェロ弾きのぼやき」というサイトの7月17日の日記の中で取り上げていただきました。どうもありがとうございます。
それはそれとして、とにかくまずこの「チェロ弾き」という言葉には、ロックバンドとその騒音みたいな音楽にしか関わったことのない人間には、あこがれにも似た甘美な響きを感じてしまうものです。それに対して「素人ベース弾き」なんていうのはハナっから陽のあたらない雰囲気があるので、その「ぼやき」なんぞというものが仮にあっても、聞きたくもないわいという気がしてしまう……などと言ったら他の素人ベース弾きの方に失礼でしょうか。
もっとも件のチェリスト氏の日記には、たとえば2000年3月10日分のように大阪人としての大阪の言葉や文化に関するすぐれた記述があったり、それこそ上方芸能の神髄の一つである「ぼやき」という形での身近な文化批評も満載だったりで、けっこうロックンロールしてるやんけなどと思いながら、時にはニヤニヤ笑ったりしながら、読ませていただいている次第です。
で、いいわけを少々。
言及していただいた文章の中に「子育てのすばらしさ」という表現が二カ所あります。特に紹介していただくときにそういう表現でされることに不自然は感じませんし、したがってクレームというわけでもありません。ただ、わたし自身は子育てを「素晴らしいこと」だと言い切るほどの自信は残念ながらまだないのです。今の時点で言えるのは、せいぜい「子どもが存在してくれることは素晴らしいことだ」ということぐらいでしょうか。
しかし、子育てを「おもしろい」とは思います。子どもの存在は素晴らしい以前におもしろく、時どき子どもとの会話をそのまま切り取って書いたりするのは、そんな存在まるごとのおもしろさをそのまま伝えることができればなぁと考えてのことです。当然ながらあるシーンを書こうと選んだときには、それをおもしろいと感じていたりびっくりしていたりするわたしがいます。ですから、たいていの場合は素晴らしいでしょう!というよりはオモロイデ〜なのです。
そのあたり、自分の中ではかなりはっきりしている区別なので混同してないだろうとは思うのですが、書くときに今まで常に意識してきた区別というわけでもありません。なおかつ子どもの成長とともに変化する認識でもありますので、このサイト全体を通じて混同しているような表現があるときはどうかご容赦を、というところです。
もう一点、わたしは web サイトを作ることで育児にまつわる情報を発信してはいますが、親になろうという勧めをするつもりはありません。チェリスト氏も書かれているように出産や育児にはいろいろな苦労やリスクも予想されるわけで、それらを考慮してどういう選択をするかは個人の領域です。それは投稿文の中にも書いたとおりです。
……たとえばわたしのような子育てをすると、娘に「トイレのおとも」にされる可能性もあります。「パパー、ウンチマン!」と言われると、このクソ暑いのに、狭いトイレに一緒に入って産みの苦しみに付き合うことになります。「このへんをおさえてよ」などと言われてお腹を押さえながらお手伝いをしつつ、その成果に対する「ちょっとくっさいね」という言葉に頷いたりするわけです。汗だくになっているわたしの額の汗のツブを数えてもらったり、それが少ないときには「きょうはウンチマンがはやかったからパパもらくやな」などと言われたりもするわけです。慣れというものは恐ろしいもので…… いやそれはともかく、こういった情け容赦のない現実を踏まえた上で、君も親になろう!などと脳天気にお勧めするわけにはいかないのです。
そんなわけで、以前から対極的であるという指摘をいただいてはいましたが、トップページの写真などを眺めながら、そんなに違うかなぁと思ったりする素人ロックベース弾きであります。
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