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2000年8月14日(月)
◆《女の子ばっかり》

 このところわたしとは少しノリの合わないおねえちゃん。たとえば一昨日の夜は、彼女が好きだと思ってしているビーフシチューなのに、昼間見つけた色つきのそうめんを食べたいと言い出してモメた。昨日は昨日で健気な父親を脱力させたかと思うと、そのあとで突然「おじいちゃんにあいたいよ」と大泣きを始めた。わたしが結婚したときのアルバムをひらいて「おじいちゃん……」と呼びかけていたが、ちょっと唖然としてしまってついていけない感じだった。

 もっとも死生観のようなものは春ごろからできかけていたようで、以後の話に出てきた様子からいうと、やはり五月のドン(犬)の死は大きかったようだ。どこへいったの?とか帰ってこないの?とかもっと会いたかったとかというのも何度も言われた。はじめのうちは悲しむべきことだということを知って実践しているようなものかとも思ったが、何気ない話からでも「ドンちゃんはもういないよねぇ」と沈んでしまうことがあり、彼女なりにまともに受けとめているのだと考えるようになった。

 もう一つ、並行するような形で一生懸命なのが家族関係の把握だ。ママのおかあさんがおばあちゃんで、パパのおかあさんもおばあちゃんで……というやつである。おばあちゃんの絶対的な意味(自分自身にとってのおばあちゃん)と相対的な意味(母(父)親の母親であればおばあちゃんになる)が混乱しているのでなかなかうまく理解できないでいたのだが、ここへきて故人を勘定にいれることで、全体のイメージが少しはつかめてきたようだ。以下はおばあちゃんと孫の会話。
「おばあちゃん、あっちゃんにはね、おじいちゃんがふたりいるんだよ」
「そうやねぇ」
「ひとりはね、パパのおじいちゃんで、まんまんちゃん(仏様のこと)だからあえないね。もうひとりがジュンじいちゃん」
「そうそう、よぉわかったなぁ」
「それでね、おばあちゃんもふたりいるの。ひとりはおばあちゃんで、もうひとりはアキばあちゃん」
「そうそう」
「でもね、もうひとりいるんだよ」
「え? だれ?」
「おはかのおばあちゃん」
「ああ、こないだお墓まいりにいったから。あれはな、おばあちゃんのおかあさんで、あっちゃんのひいおばあちゃんになるんやで」
「あらら。なんだそれ。おばあちゃんのおかあさん?」
「そう」
「おばあちゃんはおかあさんからうまれたの? なんかへん」
「へんなことないやんか」
「あっちゃんはね、おんなのこだからあかちゃんをうむでしょう、そしたらあっちゃんがおかあさんになって、ママもおかあさんで、おかあさんがふたりになるよ」
「おかあさんはおばあちゃんになるやん」
「どうして? ママはおんなのこで、あっちゃんをうんでおかあさんになったの。おばあちゃんは? おばあちゃんはおんなのこ?」
「なに言うてんの、おばあちゃんもおんなのこやんか。えげつないこと言わんといてや。あっちゃんのパパを産んだんやで」
「おんなのこばっかりやなぁ」
 そう、そのとおり、わが家はたしかに女の子ばっかりだ。……だからどうだと言うのではないが。


♪ with "Timeless" / Diane Schuur