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2000年8月15日(火)
◆《セミの怖さ》

 朝、むすめとジョギングに出る。実際には散歩だが、「よいどんするか?」ときいて「うん」というかどうかで決まる最近の行事だ。家の前で少しだけウォーミングアップをしているあいだ、セミの声が聞こえなくてやはりお盆が境目だなぁと思っていたが、公園まで来るとまだそこそこ鳴いていた。もっとも、このあたり(大阪市南部)で昼間聞こえるのはもっぱらクマゼミの声で、アブラゼミの声はほとんど聞かないしミンミンゼミはこの数年聞いた記憶がない。樹木の種類か、乾いた環境か、なにかクマゼミのみに適したものがあるのかもしれない。

 虫取りをしている親子の会話が耳に入った。
「お父さん、もうセミはいらんわ。他の虫がええわ」
「他の虫か……」
「だってセミはもう死にかけやで。死んでるのもそのへんに一杯おるし」
 そう言われた父親の困ったような表情が印象的だった。
 たしかに、セミほどその死骸を無惨に人目にさらす昆虫はいないのかもしれない。特にアスファルトはその上のセミの死骸に不気味なゴミとしての意味しか与えず、殺伐としたイメージが強調されるような気がする。暑い夏を力の限りに鳴きとおして死んでしまった壮絶さやはかなさの宿る命の痕跡、であればまだいいのだが、無造作に捨てられたままの花火の燃えカスのような感じがするのだ。
「セミしかおれへんねんからしゃあないやろ」
 父親がやけくそのように言ったのが聞こえた。

 そう言えばむすめも今年はセミを嫌がるなぁと思って、帰り道でセミの死骸を指しながらきいた。避けるようにしてふくらんで歩こうとしているところだった。
「どうして逃げるの?」
「だってあっちゃんセミきらいなの」
「死んでるから?」
「うん。セミしんでばっかりだから。すなばだったらね、おすなでうめてあげたけど、みちにはすながないからこわいの」
 とらえ方が似ているので少し驚いた。親子だからだろうか……。どちらにしても心の潤う環境ではなさそうだ。

 お昼ごろから妻の実家へ。田舎へ帰ったような気分で過ごす。下の子はおばあちゃんに抱かれると泣き出すばかりで、なにやら申し訳ない。上の子はきれいな小石や貝殻をたくさんもらったのが嬉しくて仕方がない。帰宅後もさわってばかりいた。夜はウルトラマンのビデオを見ながら就寝。