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2000年8月21日(月)
◆《あさになるゆうやけ》

 「親ばかページ」みたいな言い方をしているWebサイトをちょいちょいと見かける。概ね、自分の子どものかわいさを再確認するという自己満足のために作ったページですよというニュアンスだろうか。気持ちはわかるしそれはそれでいいと思うが、このサイトを「親ばかページ」として紹介させて欲しいと言われたときは、OKしながらも「自分と子どものことを中心に書いているだけで特に『親ばか』をしているつもりはない」と書き添えた。まぁ社会通念からすれば、「親ばかですわ」と自分から言うことはあっても、「親ばかですね」とはあまり言わないものだろう。そういう意味で「親ばか」という言葉がネットで妙な流行りかたをしているとは思う。今の時代、けっこう大切なキーワードであるはずなのだが。
 もっとも、このサイトを見て「親ばか」だなと思うのは見る人の自由で、とやかくいう気はまったくない。

「ぱぱ、これは、あさになるゆうやけなの?」
 明け方、五時を過ぎたぐらいだっただろうか、珍しく(初めてかもしれない)その少し前から起きていて、眠れない様子だった上の子がこんなことを言った。わたしは彼女のこういう表現がたまらなく好きだ。ほんとにたまらなく好きで、ぞくぞくしてくる。
 慣れていない時間の慣れていない明るさが少しずつ部屋の中にしみこんでくるのに気がつく。しずかだ。自転車のブレーキのきしみが遠くで聞こえるぐらい。もう少しするとまたほんの少しだけ窓の明るさが増してくる。その色合いはどこかで知っている気配。そうだ夕焼けだ! でも、さっき起きたばっかりで、夕焼けは公園から帰るときのはず。待てよ、これから朝になっていく夕焼けもあるのだろうか…… と、そんなプロセスを想像してみたりする。
「ん? そうやなぁ、朝になる夕焼けや。でもそんなこと気にせんと、もう少し寝なさい。しっかり寝ないと、今日は幼稚園のプールやろ? しんどくなるよ」
「はーい」
 模範的な返事。わざと閉じる瞳。でも結局眠れなくて窓ばかり見ていた。すっかり明るくなってから二、三十分寝ただけだろう。
 幼いときに錆びたポストを見て「ポストが枯れちゃった」と言った詩人は誰だったかなぁ……。ひけをとってるか?と思うのは親ばかだろうなと自分でも思う。冷静になれば比喩のクオリティが違うことぐらいはわかる。でも、ぞくぞくしてしまうんだからどうしようもない。

 二歳のころ、お風呂からあがって裸のままで布団の上にころがるのがきもちよくて言ったのが「モコチいい!」。急に「ぱぱさま」「ままさま」と言い出してどうしたんだと思ったら自分のことを「おれさま」と言ったこともあった。服をぬぎたいときに「おしりになりたい」と言ったり、「たのしい」と「おもしろい」をくっつけて「たのしろい」にしてしまったり。「かいちゅうでんとう」の「かいじゅうべんとう」には笑い転げたものだ。ヘルメット型のライトは「あたまべんとう」。
 どんどん言わなくなるなぁ。今でも言うのは「やわらかい」の「わららかい」ぐらいだろうか。

 高校時代からの親友が、六月ごろ、体調をくずして入院していたらしい。たばこもやめたし酒もあまり飲めなくなったとのこと。おまけに痩せたとか。馬鹿野郎、生き方は違っても体だけは大事にしろ。


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