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2000年9月5日(火)
◆《交差点の無表情》

 自宅の近所で車を運転していると、交差点の路上で信号待ちをしている人をよく見かける。たとえば交差点を左折しようとすると、その進入先の道路のまん中で自転車に乗った人が自分自身の信号待ちをしているという状況だ。車が入ってくることを想定していない位置取りで、当然そのまま左折すればぶつかってしまう。どいてもらうしかない。生活道路としての役割が高い場所ほどそうなってしまいがちで、仕方のない面もあるのだが危険であることは間違いない。

 車から見ていると、そういうときの歩行者の反応は大雑把にいって三通りだろうか。一つめは「おっと、うっかりしていた。あぶないあぶない」と、そそくさと歩道に上がる場合で、これが一番多いような気はする。二つめは一つめとよく似ているけれど、歩道まで上がらずにこのへんなら大丈夫だろうと脇へ寄るだけの場合。この場合はどうも判断が甘くてさらに寄り直して結局歩道に上がったりする人も多い。どちらかといえば年配者や車を運転していない(ように見える)人に多いだろうか。そして三つめは、薄気味が悪くなるような無表情か、「うるさいなぁ、こんなところに曲がってくるなよ」とでもいうような一瞥をくれてから、だらだらと移動する場合だ。これは圧倒的に中学生や高校生が多いような印象を持っている。

 このあたりは学校が多く、引っ越してきた当初は、三つめのような視線や表情と出会うことが増えて気になって仕方がなかった。状況には従いつつも向けてくる、不快感を露わにする表情やふてくされたような表情。あるいは不愉快やイライラが透けて見える無表情とでもいうのだろうか。いずれにしてもこちらも不快にさせる表情だ。
 見たところグレている?という感じでもないのにどうしてあんな表情になるのだろう……と、しばらく考えて出した結論は、あれは相手の不愉快やイライラに慣れきってしまい、そして自分たちの不愉快やイライラにも慣れきってしまった表情なのではないか、ということだった。自分たちが立っている方向に曲がってくる車のドライバーは、自分たちの思いには関わらず、イライラしたり怒っていたりしているに違いない。そんな相手は飽きるほどいるよ、たとえば親、たとえば近所の大人、たとえば教師、おまえもだろ?とでもいう感じ。

 子どもができてから、自分がそんなイライラした親に簡単になれる可能性のあることを知って驚いた。持って回らずに言うと、子育てにはそういうイライラや怒りの元になる要素が無数にあるということだ。そんなイライラや怒りをどう処理すればいいのかがわからなかった。絶対に表に出してはいけないものだというのであればそれなりの覚悟もしたかもしれない。しかし極端に言えば人は怒るものであるということを教えることだって必要だろう。叱ることは怒ることとは別だけれど、それを子どもが理解するのはずっと先の話だし、親のほうも試行錯誤なしに親になれるわけではない。
 子どもに怒った日の夜、ふとああいった無表情を作る方法の一つがわかったような気になったことがあった。そして自分の子どものあの泣き顔がやがて氷のような無表情に変わってしまったらどうしようという思いに沈んだ。

 幸いなことに、今のところは子どもの無表情を心配することもない。けれど、だからといってこれから先どうなるかなんかわからない。子育てを難しいとは思わないけれど、ほっておいてもそれなりに育ってくれるとも思えない。
 二学期が始まって、交差点を左折するときにやはり気になる高校生の無表情を見てしまった日の夜。あれこれ考えるのは、殺伐としたニュースに感化されすぎだろうか……。


♪ with Billy Joel on the radio."Just The Way You Are" and so on.