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「おもしろくない」や「おもしろいやつのほうがいい」といった言い方を、上の子がよくするようになってきた。わたしの嫌いな物言いだ。テレビの番組、ビデオ、絵本、紙芝居など好みの入る余地があるものはなんでもターゲットになる。こちらのコンディションにもよるけれど、否定的な言い方はやはり気分の良いものではない。良かれと思ってせっかく選んだ絵本など、その一言で片づけられるとカチンとくるものだ。
当初はおもしろくなくとも、時間の経つうちにおもしろさがわかってくるというのはよくあることだ。ギンギンのハードロック(死語か)をやりたかった十五歳ぐらいのときに、レイドバックだの AOR だのと言われても少しもおもしろくなかった。フュージョンも JAZZ も違う世界のもので、へぇ〜とは思ってもいいなぁという感じではなかったものだ。それらを本当にいいと感じるようになったのは十年ぐらい経ってからだろうか。場合によっては二十年かかってるかもしれない(嗚呼……)。3ボックスのセダンの良さがわかるまでにもそれなりの時間がかかったし、「増殖する俳句歳時記」のページを楽しめるようになったのは最近のことだ。他にも、例はいくらでもある。そして自明のことだが、当初おもしろくなかったのはその対象が本質的につまらなかったからではなく、自分のほうにおもしろさを感じ取れる能力が無かったという、ただそれだけのことだ。なんでもかんでもをおもしろいという必要はないだろうけれど、おもしろさを理解する力の無いことを宣言したところでなんの自慢になるわけでもない。同じ対象についてすでにおもしろさを楽しんでいる人から見れば寂しいか、あるいは哀れなものだろうし、それが何かを一緒にやろうとする仲間であったりすればシラケたり、ハラが立ったりするだけだろう。「わからない」と自分のこととして表現するほうがまだ謙虚でかわいい。
……と、そんな話の一つもできるようになるのはいつごろのことだろうか。といってもそれもまたおもしろくない話かもしれないけれど。
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