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2000年10月22日(日)
◆《去年の今ごろ》

 寝そびれた夜。ふと去年の今ごろは……などと想う。
 去年の今ごろは、下の子が生まれる三週間前ということになる。詳しくは覚えていないけれど、妻の代わりに夕方になると上の子と公園に遊びにいくようになったころだろう。他にも父親のついてきているところがあるとはいえ、慣れるまでは落ち着かなかった。やがて慣れてくると子どもをみながら本を読むようになり、その時間がけっこう貴重な読書の時間にもなったものだった。

 妻は子宮筋腫持ちである。過去には卵巣膿腫もあって、結婚する前の年に筋腫と卵巣一つの摘出手術を受けた。……というのは結果で、手術の前は子宮摘出の可能性も言われていた。実際に摘出した筋腫はにぎりこぶし大のものを筆頭に十個ほどだったか。当然子宮は傷だらけで、自然分娩するほどには回復できないだろうから、妊娠は可能でも出産は帝王切開になるということだった。手術の六年後に上の子を妊娠し、その四年後に下の子を妊娠したことになる。

 わたしにとって(妻にとっても)二度の妊娠はどちらも矛盾のかたまりだった。「安静にしながら動いたほうがいい」という意味のことをいろいろな表現で言われ続けた。妊娠そのものが順調でも、以前の手術による癒着の影響などがどうでるかわからないのだ。
 去年の春は上の子の時よりもつわりがひどく、初夏のころから強烈な発疹が出はじめた。しかも治まったあとが順々にケロイドのようになっていく。医者は、様子を見るというばかりで、やがてひきますよとは言わなかった。深夜、痒みに苦しむ妻がワセリン(ぐらいしか使えない)を塗る姿を見ているしかないのは辛く、不安なものだった。
 夏から秋にかけては、昼間はわりと元気なのに夜になると痛みによるうなり声を聞く日が続いたような気がする。妻の姿勢や胎児の状態によって状況が全然違うわけだ。痛いところを刺激すると痛いのは当たり前だが、じゃあどうなれば痛むのかというのははっきりしない。またそれが癒着による痛みなのか他の原因によるものなのかということもわからない。もちろん薬は基本的にだめなので、やはり様子をみるしかないとなる。で、痛くさえなければ本来妊娠そのものは病気ではないので、むしろ動いているほうがいいということにもなる。もし癒着が痛むのであれば、そのままほっておけばとんでもないことになりそうなイメージを持ってしまうのだが、だからといって何ができるわけでもない。人にきかれても答えようのないようなつかみ所のない状態だった。

 上の子のときは、お腹がカチンカチンに膨れ上がっていた。入院した時点で安静を言い渡され、よくここまでもったという話だった。結局子宮そのものは早産したがっていたようだがやはり力が弱かったのだろう。また胎児が元気なことも幸いしたようで、弱い子どもであれば子宮の収縮に負けていたかもしれないということを後から聞いた(新たな筋腫の谷間のような、特に血流の良い場所に胎児が着床したというのは妊娠当初からきいていた)。
 諸々の状況から、下の子のときは予定どおり無事に出産(手術だが)できるとは思えなくなっていた。悲観主義というより、少なくとも心の準備ぐらいはしておくしかないだろう。それが去年の今ごろになって妙に落ち着きだし、ひょっとしたら案外このままでいくのかなぁと思い始めたのだった。そして決まった手術の予定日が平成11年の11月11日。へぇ〜と思いながらも午前11時11分というわけにはいかないかと一応尋いたものだった。

 早くなった夕暮れのせいにして、ママが待ってるから帰るぞ〜と公園からむすめを自転車の後ろに乗せる。
「もうすぐお姉ちゃんになるなぁ」と言うと、
「あっちゃんはやくタイちゃん(胎児のこと)にあいたい」と言う。
「ほんとやなぁ……。ママはなぁ、命がけでおまえを産んでくれて、タイちゃんも産んでくれるんやで、ありがとうって言おうな」
「うん」
「パパがエラそうなこと言うたら、おまえが、『ママは一生懸命あっちゃんとタイちゃんと産んでくれたんやで』ってパパに言うてくれよ」
「うん」
 そんな話をしたことはもちろん覚えていないだろう……それをいいことにしようか。


♪ with "Cheap Thrills" / Big Brother & the Holding Company