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見るまに顔が白っぽくなっていった。もう少し走れば体も暖まってくるからと言っても、立ち止まりそうになりながら歩くだけだ。もう大丈夫だろうと、朝のジョギングにむすめを誘ったのがちょっと甘かった。最初の数百メートルを走っただけで、頻度は大したことはないけれどゴホンゴホンと咳が出て、水洟もでてきてしまった。寒くもないと思うのに、いかにも病み上がり途中といった顔色になってくる。昨日は幼稚園からの帰りにトイレに行きたいと少し走っただけで咳が出たから、という妻の言葉が耳の中で重くなった。ダイジョーブダイジョーブ、なんてやっぱり子どもの健康に関わることは家族の誰かの反対を押し切るとロクなことはない。帰ろうと言っても久しぶりの公園にもいってみたかったようで、ききいれてくれないのだった。結局ブラブラ歩きながら公園まで行って帰ってきた。
最近、むすめが不機嫌だとよく思う。よく気になる、というのが正確だろうか。不機嫌や無愛想というのはすべてのトラブルの入り口のようだ。その裏にもっともな理由があるのなら話をききたいと思うので言葉をかけると、さらなる無愛想にぶつかったりする。といって、最初から相手にしないでいても状況が好転するはずもない。どこをどう回っていっても、結局はお互いに余計なエネルギーを使うだけなのだ。
もちろん不機嫌と無愛想とは違うものだ。自分のことを顧みても、上のようなエネルギーの消費が必要になる時期がたしかにあった。しかしそれが無愛想として表れたとしても根本的な不機嫌ではなかったような気もする……というのは、子どもがもう少し大きくなってから考えよう。とにかく今は、そういった必然的な無愛想として子どもを許容する気にはなれない。わかってするのは勝手だが、わからないのなら、それは相手にとって不愉快な態度だということを伝えたほうがいいと考えている。
で、そうやって伝えてみた翌日に「カゼがなおったよ!」などとよく知っている笑顔と明るさに戻っていたりすると、しまった余計なことだった、無愛想だったのは結局風邪のせいだったんだ……と思ってしまう。
実際、子どもの健康状態は表情やしぐさにかなり鋭敏に反映している。今日もほぼ一日中ごろごろとビデオを見て過ごし、懸案だったちょっと遠くの緑地公園でのどんぐり拾いを尋ねてみても、行きたいとはいうものの少しも執着がない。やはり体調がイマイチなのだろう。ついついそういった体のコンディションや病気のことを忘れてしまって、成長のプロセスとか自我がどうとかと考えていたりすると、結局子どものことを素直に信じてやれていないのだなぁという気になる。
そういえば、思春期ごろに妙に無愛想になったりするのも、やっぱり病気みたいなものなのかもしれない。そのときはちゃんと信じてやれるだろうか……なんていうのはまだ早いって。
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