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2000年11月9日(木)
◆《キーボードはお好き?》

 Macintosh のマウスにはボタンが一つしかない。操作をより直感的にするためで、初めて触るときでもボタンが複数ある場合のようにどれをどう押すのだろうという迷いや戸惑いが生じない。それが子どもむきでもあるのか、上の子はお絵描きソフトならほとんど自由自在に使いこなすようになった。ぼちぼちキーボードに興味がむいてきて、文字の打ち方を教えろとうるさい。言われてみるとなかなか教えにくいもので、日本語を打つことのややこしいプロセスをあらためて実感している。とりあえず「かな入力」にして、大きな文字サイズにしたテキストエディタのファイルをあけておくと、あれこれ試して遊んでいる。

 そういえばわたしはキーボードからの入力に「親指シフト」配列を使っている。最初にワープロを買ったとき――82年だったか――からだ。買う前に本で調べると、親指シフトが一番効率的でより思考を妨げないというのでそうした。効率的とか合理的といった言葉には弱いところがある。
 入力方式がなんであるにせよ、慣れれば同じだし考えてから文章を打つので思考を妨げるというのはあたらない、とローマ字入力の人などはいう。しかし親指シフトとローマ字入力の二つで言えば、どちらも打てる人でわざわざ三割も四割も打鍵数の多いローマ字入力を選ぶ人はいないだろう。何パーセントの合理化に血眼になるのであれば、親指シフトも日本語入力の合理化になるし、ひいては IT 立国にも適していると思うが、今の総理大臣にはなんの話かさえわからないかもしれない。
 ちなみに、親指シフトでもアルファベットの配列は変わらないので、ローマ字入力もそのまま可能だ。そのあたりで間違った印象を持つ人もいるようだが、親指シフトを覚えたからといってローマ字入力の妨げにはならないのである。もちろんわたしもすぐにローマ字入力に切り替えることができる(カンが戻るまでに何分かはかかるし、その何分かが問題だという話はもっともだと思う)。

 家ではアップルのアジャスタブルキーボードを使っている。まん中から分かれる角度を調節できて、両手をハの字型にできるセパレートタイプである。このタイプに慣れると普通のキーボードは上半身に無理な負担がかかっているように感じられるから、やはり体にはやさしいのかもしれない。
 キーボードマニアだと言われたこともあるけれど絶対的なこだわりがあるわけではない。打てと言われればなんでも打つよというほうだと思っている。ただ、昔のアップルの標準キーボードのタッチは大好きだった。打っていると何とも心地よいリズム感が返ってくるのだ。オルガンよりもピアノが好きだったり、カメラのシャッターに手応えがあるようなものだろう。そのキーボードが壊れたのでいろいろ試しているうちに今のものを使うようになった。

 そんなお気に入りのキーボードを久々に掃除した。なかなか出ない文字や多く出すぎる文字があったのを我慢しながら使っていたのだけれど、とうとう思い立ったわけだ。これでチャットもコワくない。
 キーキャップをはずしてまとめて風呂場に持っていくと、むすめが大喜びで洗ってくれた。その下にはスプリング式のスイッチが使われているので、問題のあるキーはスイッチのカバーをはずして接点を掃除する。それだけのことなのだが、いざとりかかるまでは億劫で仕方がなかった。カバーのはずし方のちょっとしたコツや、接点を傷めないコツなどを忘れているからだ。トシのせいかと思うとイヤになるけれど、考えてみれば前回やったのは三、四年前だから、そんな細かいことを忘れていたとしてもそれほど不思議なことでもないのかもしれない。もっとも三、四年前を「ついこないだ」のように感じるのは完全にトシのせいだが。
 ところで本体価格並のこんなキーボードはいかが?


♪ with "Transcendental Etudes" Liszt / Berman