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飼い犬の死や下の子の誕生といったことが、上の子にとってどういう意味を持っているのかというのはとても気になるところだ。死生観云々というのは早すぎると思うし、実際物心つくころには覚えているかどうかもあやしいだろう。しかし今の彼女の中にはあきらかにこれまでのことを下敷きにしている部分がある。そういう積み重ねが人間を作っていくのだろうから、三歳での経験も四歳での経験もそれなりに意味があるのだと思う。
産むとか産まれるということにこだわりが強いのはやはり女の子だからだろうか。あるいはそういう時期なのか。ときどき「うんだひと」のペアになることをしつこく言うときがある。自分とママ、パパとおばあちゃんのペアにしたがるのだ。そうやっておやつを分けたり、乾杯をしたりする。スリッパをきれいに並べたと思ったら、それぞれの位置が決まっていて子どものスリッパは親のスリッパの下に置かねばならないという教育的指導があったりする。それでなくとも下の子が這い回ったりするのだから、ややこしいことこの上ない。そして二言めには男の子を産むと言う。そうすれば「かぞくがふえる」のだそうだ。
たまに掛け布団をぐちゃぐちゃにして遊ぶことがある。全部を寄せて積み上げたりし、顔だけ出してその中に埋もれるのだ。今日あたりでもおそらく汗だくになるのでやめるように言うのだが、なかなかやめない。あまりに嬉しそうにしているのでしばらくほっておくときれいな円に並べた布団の中でさらに布団をかぶってじっとしていた。眠っているつもりではなく、くりくりとした目をあけたままだ。そして出てくるとだっこしてくれと言った。言うとおりにすると、
「あたたかくなったでしょ?」
「なったなった。何してたの?」
「からだをあたためてたの」
「そう。なんでそんなにあたためるの? 汗かいたら風邪ひくよ。寒かったの?」
「ううん、たまごをうむの」
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