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少し前に「がんばらない」(鎌田實/集英社)という本を買った。去年の秋ごろだったか、新聞のコラムで触れられていたもので、長野県の諏訪中央病院の院長さんが書かれた本だ。コラムを読んで、二十世紀の医療はがんばってがんばって病気に勝つ手段を追求し、大きな成果をあげた。けれど、末期癌の患者に最期までがんばれがんばれと言いつづけるだけの医療でいいのだろうか……というような問いかけをしている本らしいと理解した。簡明にして達意の名文、とも書かれていた。
本の帯には「あなたは何度泣きますか」みたいなコピーがあってちょっとひいてしまったけれど、実際、涙腺の刺激される話ばかりで実はあまり読めていない。なので、本のことは今はこれ以上書けない。去年、幼稚園で子どもが「がんばる」ことについて考える機会が多かったので、キーワード的にも読んでみたかったのだ。
上の子の幼稚園は、子どもに「がんばり」を求めるほうの幼稚園だ。毎月のようなイベントに音楽教育、冬にはマラソンもある。わたし自身は当初はそういうやり方に否定的ではなく、本人が楽しいと感じているかぎり、がんばりたければがんばればいいぐらいに思っていた。しかし、下の子がいることもあって妻があまり公園にいけなくなるなど、外であそぶ時間や機会が減ってくると、幼稚園はもっとゆったりあそべる場所であるほうがいいと思うようになってきている。
先日のある朝(金曜日だったか)、自転車で幼稚園におくっていくと、向かい風の寒さの中で背中から、
「もうすぐね、おねえちゃんとおにいちゃんにへんしんするんだよ」
と言ってきた。学年が上がるということだろう。
「そうやなぁ。年長さんになるんやな」
「ねんちょうさんになったらね、もっともっとがんばらないとあかんねん」
「なんで?」
「ちっちゃいこォもいてるし、せいさくてんとかもあるから」
「先生が言うたの?」
「うん」
「そおかぁ。けど、そんなにがんばってばっかりやったらしんどいよ」
「どうして?」
「どうしてって…… がんばってばっかりで楽しくなかったらしんどいやん。おまえ、去年の音楽会のときも練習ばっかりでちょっとしんどくなったでしょ」
「そうだけど、あっちゃんはがんばりたいねん」
「うん。あっちゃんはがんばるの好きやもんな。だからがんばったらええんやけど、一番は楽しく遊ぶことで、それからがんばったらいいとパパは思うけどな」
「ちがうで、がんばるのがいちばんやねん。だってせんせいがいうたもん」
実際にどう言ったかはともかく、先生の言葉の力は絶大なようだ。わたしの言葉はあっさりと却下されてしまった。おもしろくない。
「やっぱり楽しいのが一番やで。がんばるのは二番か三番か四番や」
「だってせんせいがいうたもん」
「そうやけど、先生は『お父さんやお母さんの言うことはちゃんとききなさい』って言いはれへんか?」
「……いうよ」
「そうやろ? そうやのにパパより先生の言うことばっかりきくんやったら、先生の子にならんとあかんで」
「いやだ」
「今日から幼稚園で寝るか?」
「いやだ」
「そしたらパパの言うこともききなさい。楽しいのが一番や。わかった?」
「うん。……わかりました」
こんな荒っぽい話がいつまで通用するかはわからないが、とにかく言いくるめた。それでも何かぶつぶつ背中で言いつづけていた。それにしても来年度のことで幼稚園児に今から「がんばれ」とハッパをかけるのも行き過ぎている気がする。むすめが特にそういう話に感応しやすいのだろうか。また、先生自身が人生で一番がんばりのきく年代だろうから、なおさらそういう言葉が出やすかったりもするのだろうか。幼稚園に着いて自転車から降り、前カゴに入れていたかばんなどを渡しながら少し声を大きくしてもう一度言った。
「いいか、幼稚園はあっちゃんが楽しく、思い切り遊ぶところや。それが一番。そのために幼稚園に来てるんやから、がんばるのはその次でいいんやで」
「うん。おもしろいのは?」
「おもしろいのは、んー、二番。一番でもいい。そしたらがんばるのが三番や」
「はい」
「とにかく、しっかり、楽しく遊ぶこと。がんばるのはその次でいい。わかったな」
「うん」
「よし、そしたらいってこい!」
「いってきまーす」
と、幼稚園に入っていった。門の中に入ってしまったらわたしの言葉なんかすぐに忘れてしまうのだろう。それはいい。声を少し大きくしたのはそばにいた先生に聞こえればいいと思ったからだった。その先生の顔には困惑に似た感じの表情が少しだけ浮かんだようにも見えたけれど、視線を合わせたときには笑っていた。こちらも笑った。
幼稚園からはじまって死ぬまでがんばれと言われつづけるのかなぁ、とふと思う。そして自分でもがんばろうがんばろうと思って過ごしていくのだろうか。たしかに、毎朝「さぁ、今日もがんばらないと」とわたし自身が自分に言い聞かせているなとあらためて確認した朝。
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