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成人式での騒ぎの話題がおさまってきた今ごろになって、ふとしたことから「えらい世の中やなぁ」とわたしの母が言った。買い物途中の車の中で「ちゃんと言われておっきなって(大きくなって)ないんやろか。うちの子もあんなんになるんやろか」とも言う。とりあえずその場では「さぁ……」と答えるしかなかったが、正直なところ、十五年先になって「人が話をしているときは礼儀をわきまえろ」とか、そんなことまで面倒見きれんなと思う。そういう類のことを言って聞かせるのはいくつぐらいまでなんだろう、せいぜい小学校か、それとも中学生ぐらいまで言わないといけないのだろうか。幼稚園の今は園長先生の話をきちんときいているみたいではあるけれども。
報道されていたような成人式の騒ぎを見ると、堕落とか荒廃とかいうよりもやっぱり遊び足りてないのかなと思ったりしてしまう。最近読んだ本の影響だと思う。
去年の秋のおわりごろ、子どもの絵本を借りにいったついでに「子どもとあそび」(仙田満著/岩波新書)という本を図書館で借りた。著者は建築家で、パラパラと見たときに、校舎などの廊下の曲がり角を円弧にすれば出会い頭にぶつかってケガをすることがないという話題のページが目に止まって興味を持ったのだった。読み進むにつれて、子どもにとってのあそびの重要さと、現在のあそびの環境の貧弱さを思い知ることになってしまった。毎日のように繰り返される殺伐としたニュースの多くが、子どもの時の遊びに原因があると悟った気分になるほどだった。
たとえば秘密基地の話がある。「となりのトトロ」でもセリフにちらっと出てくるけれど、わたしの小さいころは秘密基地を作るのはごく普通の遊びだった。それは上記の本の中で「大人から干渉されない空間」と呼ばれている。なるほどそのとおりで、よほどのことがないと大人は覗きにも来なかった。そういうところで自立心を学んだのだろうと言われれば、たしかにそういう面もあったかもしれないと思う。それが、1975年ごろの調査でそういう秘密基地を持っている子どもが十人に一人となり、横浜での1989年の調査では0だったとのこと。「今の子どもたちは自立心がない、独立心がない、と大人はよく言う。その心を育てる空間を自分たちが奪ってしまっていることを忘れている」とある。おもしろい遊びを奪われて育った子どもは、成人式で酒をあおって大人に対して憂さを晴らそうとするのだろうか。
そういえば上の子は秘密の隠れ家を作るのが大好きだ。定番になっているのはわたしのコンピュータデスクの下で、今もラムネの入った器やぬいぐるみが置いてある。ここに入ったときは見えなくなったことにしてやろうか。かなしいほどちゃちな秘密基地だが。
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