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二月三日(土)
節分。豆は……数えるのもめんどうなほどたくさん食べた。
上の子が一歳すぎのとき、豆の袋についていた鬼のお面を見ると泣いたことを思い出す。今、同じ一歳すぎの下の子は同じことをしても泣かない。姉がいることで心強い雰囲気があるのかもしれない。……というこじつけぎみの分析には、姉よりも怖いもの知らずだとはあまり思いたくないという気持ちがはたらいている。
豆まきは上の子の独壇場だ。姉のあとを妹がトコトコとついてまわってややこしい。家の前が豆だらけになるほどまき散らしているとお隣さんまででてきて盛り上がってしまった。まいた豆はスズメや犬が食べるだろうといってからしまったと思う。このごろはドン(犬)につながることをいうともう一度会いたいなどと泣きだすことが多いからだ。少し大げさなところもあるのだが、大事にしてやりたいものもあるので、なだめたりしてそれなりにつきあうことになる。幸い話がそういう方面にいかず、にぎやかな豆まきでおわることができた。
二月六日(火)
例によって上の子が幼稚園を休む。火曜日にある体操の時間がどうしてもイヤらしい。毎朝「きょうはようちえんある?」「きょうはたいそうあるの?」ときき、いくとかいきたくないとか言うのにも慣れてしまったが、それでもこの数日はけっこう明るくすごしているように見えていた。だから大丈夫なのかと思っていたがやっぱりだめなようだ。それにしても、小さな子どもにそれほどまでに嫌われるのも難しいだろうと皮肉なことも思ってみたくなる。どんな授業……じゃない、保育をしているのか一度見てみたいものだ。妻によると、同じように体操を休みがちな園児の例が過去もふくめていくつかあるらしい。ちょっとした立ち話で情報が集まる主婦の力のすごさととればいいのか、状況のちょっとした根深さととればいいのか。
その妻が、転園の候補にしている幼稚園に子どもをつれて見学にいった。いわゆる自由保育型の幼稚園で、園長さんの話をきいてひかれているようだ。子どものほうは、公園での遊び仲間も何人かいていきなり馴染んでいたらしい。ただ、自分の幼稚園は○○だと今の幼稚園のことを言って、少し混乱しているとのこと。無理もない。
つくづく思うのは、わたしのイメージしていた(あるいはかすかに記憶している)幼稚園の生活とはかなり違う生活を娘がしてきたらしいということだ。入園後の五月か六月にはすでに思っていたけれど、毎月のように行事があってほんとうに忙しい。当初は母の日父の日などもあっての偶然かとも思っていたものの、結局子どもの生活はほとんど一年をとおしてなんらかの行事とその準備や練習に追われることで埋まってしまうようだ。もちろん、いろいろな行事があるのは幼稚園の中だけの話ではない。それにしても結果的に逃げ出したくなるようなストレスを小さな子どもにかけてどうなるというのだろう。自分には経験や記憶がないだけに想像もしづらいけれど、そういうストレスに対処していくことが子どもにとって良いことだという考え方には馴染めない。小学校での生活を円滑にする訓練になるということを幼稚園は言うらしいが、今の小学校はそんなことを幼稚園が考えなければならないようなところなのだろうか。
仮に小学校のほうに訓練の必要な状況があるとすれば、子どもには少々のことでくじけないようなバイタリティのほうが必要な気がする。それには、自分の所属しているところがしんどくておもしろくないところだという疲れた認識では逆効果だろう。幼稚園はこんなにおもしろかった、小学校はなんでおもしろくないの?というほうがまともで有効なような気がする。
このところ下の子が、夜、なぜか一時間ごとに目を覚まして泣く。もうおさまるかと思っているうちに逆に激しくなってきた。夜中にいきなり絶叫するように泣かれるとさすがにつらいものがある。
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