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何日か前、「近所はどこ歩いても、ここもドンとよぉ来たなぁと思うとこばっかりやわ」とわたしの母がいった。「寂しなってきたら、誰もおれへんかったら『ドンーっ!』て呼んだるねん」とも。今でもそんな思いになることがあるのかと一瞬驚いた。でも「ここも連れて歩いたな」と思うのは、実はわたしにもよくあることで、わたしよりももっと親身に世話をしていた母なら、そんなものかもしれなかった。
ドンの瞳は大きめで黒かった。虹彩の部分があまりはっきりしていなくて、全体に黒く見えていた。じっと覗き込むとそのときの光の具合でその黒の色合いが微妙に変わる。すこし濁って見えたり、緑色や茶色が混ざったりした。そしてどこか無機的な光を宿してもいた。この世界がどんなふうに映っているのか、そしてどんなことを考えているのかを読み切れない分だけそんなふうに感じるのだろうとよく思ったものだ。そうやってドンの瞳を覗き込むことが、わたしは好きだったのだろう。そのどこか無機的で哀しげでもある瞳は今でも記憶に鮮明なままだ。
彼が死んでから今日でちょうど一年になる。といって線香をあげるでもなく、わたしの母はケーキを買ってきた。ドンが大好きだったものだ。上の子に話すと泣きだして止まらなくなるので、特には告げず、いつものケーキと同じように食べた。この一年間、他の犬を飼うことも何度か話題にしたけれど、母にはその気はないようだった。「……なぁ、あんなにまで顔腫れて、かわいそうやったわ。もう犬はいらん。ドンかて、もっといろいろしてやれたかもしれへんけど、歳やってんからなぁ。治ったかてまた同じことになったかもしれへんし、もうあれはあれでええと思てるねん。歳はなぁ、歳はしゃあないわ」そんな言葉を何度も繰り返した。「そうやな」と迂闊にいえないわたしは、黙ってきくだけ。
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