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幼稚園が休みではない土曜日。買い物の帰りにむかえにいくと、ピカピカの表情で娘が車に乗り込んできた。
「きょうはね、めちゃくちゃたのしかってんでー、いちばんしあわせなひやわ」
この「いちばんしあわせな」というのは娘の最近の口癖なのだが、それにしても今日は興奮している。
「そう、どうしたん? なにがそんなにしあわせなんや」
「ダンゴムシいっぱいつかまえてんで。そんでうでのとことか、コショコショってむちゃくちゃこしょばかってん」
……ダンゴムシ。
「ダンゴムシよおさわるのか?」
「さわるよ!」
娘はプライドを傷つけられたように唇をとがらせたが、「ちょっとこわいときもあるけど」と付け加えた。そのへんのスリルと実際に腕に伝わってきたこしょばい感覚との落差が、しあわせ感を増幅しているのかもしれない。ダンゴムシは、わたしが子どものころはマルムシと言ったものだ。図鑑にはダンゴムシだったからそれが正式名称なのだろう。似たようなことをして遊んだ記憶はたしかにある。
どうも上の子はダンゴが好きである。もう一つ、泥んこで作る泥ダンゴも大好きだ。もうすでに何カ月か前のことだが、外から帰ってきてそのままバタバタとわたしのところにやってきたかと思うと、手のひらにのせた泥ダンゴをさしだしてこういった。
「ぱぱ、ぱぱよりかたいダンゴできたで」
大まじめだった。実はわたしも小さいころは泥ダンゴ作りが大好きで、そんなことは子どもができるまで思い出したこともなかったけれど、固くて美しい球を作ることを自慢していた記憶があるのだ。それを話すとライバル意識が燃えたようだった。娘の手のひらにはわたしに言わせると砂の塊のようなダンゴがあった。一応手にとった。
「まだまだやな。そのうちパパがもっと固いダンゴ見せたるわ」
「これより固いの?」
「固いよ。もっとちっちゃいけどな」
「そんなん、どうやってつくるのー!?」
「そんな砂なんか使わへんねん。もっともっと細かい粉みたいなやつを探すんや」
「そんなんないで」
「あるよ」
「どこに」
「あったんや、パパが子どものときはな。また探して、あったら教えたる」
「ぜったいやで」
「ぜったいや」
そういえばこの約束は果たしていない。
ふとそんなことを思い出しながらダンゴムシの話をきいていると、わたしの母が言った。
「ほんまに、パパもまるむし好きやったでー、仕事で使う箱にいっぱい入れてきて、嫌いやて言うてる人のとこへもっていったりしてたわ」
「パパ、いっぱいおったん?」
と娘が言う。
「おったよ」
「はこいっぱい?」
「……うん。でも山盛りとちがうで、底のほうにやけど、見た感じいっぱいっていうことや」
「へー。パパってすごいね」
「そうか?」
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