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2001年5月26日(土)
◆《しっかりしろよ》

 午後、どこかにいくのなら付き合おうと思っていたので話をしていると、少し離れた緑地公園がいいということになった。上の子の希望だった。ところが、いつもの公園でいいという妻もまじえてもう少し話を詰めてみると、どうやらまた、苦手な子と会うのがいやだからいつもとは違うところがいい、ということらしかった。そして昨日の「もうだいじょうぶ」という話もウソだということがわかった。
 軽いショックをおぼえる。苦手な子問題が解決の方向にむかわないということもそうだが、きちんとしたウソをつかれ、きれいにダマされたわけで、そういう意味ではたぶんこれが最初だろう。少しあれこれと詮索しすぎているのかもしれない。

 結局、今日のところは離れたほうの公園にいくことにした。それにしても、苦手な子に対して、せめて不愉快さを表現して対抗していくというのはそれほどたいへんなことなのだろうか……などと娘が遊ぶのをながめながらぼんやりと考えた。とりあえずコミュニケーション自体が未熟なわけだから、不愉快さを表現していても伝わらないこともあるだろう。そういう面ばかりにこだわった話にならないようにしたほうがよさそうだ。そして幼稚園の外と中とでもっとはっきりわけて考えたほうがいいように思えてきた。外では遊び場所が少ないという根本的な問題があるので、相手と関わりながら解決していくのがベストではある。しかし苦手な子がいなくても今日のようにべつの所にもいくわけで、そういう意味では関わる関わらないよりも、娘が屈託なく遊べるということをまず考えるほうがいいのだろう。幼稚園の中のことに関しては、こまめに連絡をとりながら様子をみて対応していく、ということしかない。少々のいたずらはどこででもあるだろうから、とにかく楽しく遊んでくれさえすればそれでいいのに、いつまでも尾を引くし、どうもどこか陰にこもったところがあるように思えてすっきりしない。
 
 帰りがけになって、滑車のついたロープにぶら下がって滑走する遊具がしたいと娘が言いだした。すでに、小学校の三年生ぐらいには見える女の子と幼稚園ぐらいの男の子が二人(一人は女の子かもしれない)の計三人が遊んでいた。スタート地点は陰になっていて見えにくい。娘の番がなかなかこないので見にいくと、その三人で使い回し状態になっていていれてもらえないようだった。娘になんとかしてくれといわれたが、わたしが行ってどうこうというのも大げさな感じがしたので、一人いた母親らしき女性に順番をまもってもらうようにいえばいいと娘にいった。写真を撮ろうとしてスタート地点とは逆の端から見ていると、娘はわたしがいったように女性に話しかけ、そしてその女性が幼稚園児らしい男の子に何か話しかけるのがわかった。が、状況は結局すこしも変わらず、最初からの三人が使い回して娘の順番はきそうになかった。困った母親だ。オレが行くしかないか……と思って歩きかけると、妻がそれまで遊んでいたところから下の子を連れてきたので、事情を話してかわってもらった。
 三度滑走してもどってきてから、妻の話をきくと、実はもう一人同じような年代(三十前後か)の母親がいたらしい。しばらく見ていても二人とも無表情で、待っている者がいるのに順番を守ろうとしない子どもに対してなんにも言わないと妻が憤慨していた。もう一人母親がいたとはわたしも驚いた。公園という場所で遊んでいる三人の子どもに二人の母親がついていて、四人めに加わった娘が遊ばせてもらえないというのはちょっと解せない話だ。こういう馬鹿――といって悪ければ恥知らずか――な大人が、こういう些細な場所から、今の世の中の殺伐とした部分の土台を築いているのだ。しっかりしろよと言いたくなる。たしかに公園で子どもをリードすることにも慣れがいるもので、わたしも得意ではない。もちろん母親でも仕事をしていてあまり公園には来ないなど、いろんな事情でその慣れがないと「順番に遊びなさい」という一言さえ出にくいのかもしれない。しかし出さないといけないのだ。「順番に遊びなさい」も「場所をつめてください」も似たようなものだろう、そう言われただけで相手を殺しかねない人間が増えていると、今日の新聞にもまた載っているではないか。


♪ with "Fundamental" / Bonnie Raitt