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幼稚園の父親参観の日だった。昨日につづいての行事ということになる。忙しいけれど、今朝は通常よりも三十分遅れだ。日曜日であることへの配慮で、少しのんびりとした気分で家族して園にむかった。こういう気配りはとても嬉しくありがたい。
保育の始まりまで園庭をぶらぶらしながら思ったのが、ブランコの危なっかしさだった。ブランコといっても一本の鎖で、その先に園児が座れる程度の円盤がついているだけのものだ。一応普通のブランコのように振幅するものの、一本の鎖なのでその気になれば円錐形に振ることができそうだった。それが二基あるから簡単に隣とぶつかりそうに見える。娘にきくと「ぶつからないよ」というけれど、ちょっと信じられない感じがした。要は子どもが危険をコントロールして遊べばそれでいいわけで、見慣れていないせいで危険極まりなく見えるのかもしれないのだが……。ターザン風に踏み台から飛び乗る感じで始動するようになっており、いずれにしろ娘にはちょっと無理そうな感じだった。
去年は最初の参観でとにかく先生の大声に圧倒され、繰り返される「パワー」という言葉が耳につき、「トントンマエ!」と言いながら整列するのを珍しく眺めたものだった。それだけに、転園によってそれら全部のなくなった今年は、静かで子どもたちがリラックスしているように見える。そして父親たちの雰囲気も去年とは微妙にちがった。
初めて子どもの教室に入る。仕切をとって二クラス合同にしているため、広々とした部屋だった。最初は四十人余りの園児とその親でのゲームだった。なんとかスーパーマンという題で、向かい合って並んだ親同士が前の人と両手をつないで上にあげ、全体として肩の高さの橋をつくる。その上を子どもを腹這いにして渡らせるのだ。スーパーマンが飛ぶわけである。やってみるとこれがキツかった。結果はわたしのほうのチームの負け。どういうわけかわたしの周りはわたしを含めてごつい体型の父親が多く、なんだか足を引っ張ったような気分になりそうだったが、そうではなかったと信じたい。
そのあとは紙袋などを使っての工作。わいわいがやがやと作り終えた。その過程で気がついたのだが、最初に感じた去年とはちがう父親たちの雰囲気は、そのヤル気だった。とまどいや遠慮めいたものがなく、よォし、今日は子どもを楽しませてやろうやないかという気配だったように思う。みなさん楽しんで参加しておられた。それが、参観も二、三回目であるという経験のゆえなのか、一回目からそういう園のカラーなのかはよくわからない。
プログラムされた演出もなく、お父さんへの歌もなく、壁に貼られたお父さんの絵もなし――だいたい窓が多くて絵を貼っておくような大きな壁がない。そのかわりに風通しは抜群――で、とにかくリラックスしたものを感じながら保育時間を終えた。
帰りがけ、もうちょっとだけといって娘が園庭で遊び、最後にターザンブランコをやって見せてくれた。ほぉー、なかなかやるようになったものだ。四月五月連続の皆勤賞もダテではない。
下の子は只今「くまのプーさん」症候群の真っ最中である。目が覚めている間じゅうずっと「ぷー、ぷー」と要求して、環境ビデオ化している。実は上の子のときとまったく同じで、プーさんの体操を真似するしぐさもそっくりだ。繰り返しのためにビデオテープにもノイズがのってきており、それだけ見ているわけだが、たしかに飽きのこない作品だと思う。
この物語の原作は作家のA.A.ミルンが息子のクリストファー・ロビンに語りかける形で書かれており、ディズニーのビデオでは「百エーカーの森」を舞台に活躍するぬいぐるみの動物たちを助けるようにしてクリストファー・ロビン自身も登場する。そしてビデオはクリストファー・ロビンが学校に入るところで終わる。学校へいくことになったクリストファー・ロビンは、いつもの森でプーに、
「一番好きなのは『なんにもしない』ことだよ」
という。プーが、
「どうやるの?」
ときくと、
「大人が『なにをしてるんだ?』ってきいたら『なんにも』って答えて、そのまま外にいけばいいんだよ」
と答える。そして、
「でも、学校にいくとぼくはもう『なんにもしない』ってことができなくなるんだ。だから君がここへきて、ぼくのかわりに『なんにもしない』ってことをしてくれるかい?」
ときく。
……このくだりももう何度見ただろうか。そういえば上の子も来年から小学校だから、時の経つのは早いものだ。
参観で、お絵描きの大好きな娘の絵ぐらいは見たかったような気もした。けれど、「百エーカーの森」には遠く及ばなくとも、大人が見るよりはたぶんずっと広く感じているはずの幼稚園の庭で「なんにもしない」でターザンブランコやダンゴムシでたっぷり遊んでいてくれれば、それで十分なのだろう。
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