|
朝から暑い。深酒の残骸が吐き気になろうかどうかと迷っているのを感じながら、ジョギングに出た。帰りがけに娘が「お泊まり保育」で一泊している幼稚園を覗いてみたかったのだ。だが、外からはなにもわからなかった。刃物を持ってウロウロしているやつはいなかったが、刃物を持たずにウロウロするやつになるのもなんなので、そのまま帰ってきた。
朝食後、あらためて娘を幼稚園にむかえにいく。妻と下の子も一緒だ。大げさな気もするが、布団や着替えなどの荷物も持たねばならなかった。子どもが出てくるまで少し待ち時間があったため、親たちが幼稚園の玄関付近でたむろする格好になる。やはり昨日の事件の話が聞こえていた。やがて出てきた娘は元気そうだった。楽しかったとのこと。表情には緊張や疲れが残っていたけれど、「もう一回お泊まりするか?」ときいたことに対して「きょうはおうちでねるけど、そのつぎだったらいいよ」と言うぐらいだから、問題なかったのだろう。いい体験ができてよかった。当たり前のように無事であったことにほっとしながらも、昨日の被害者に思いが飛び、同情と怒りをもてあましてしまう。
昼ごろから下の子が発熱した。熱以外には何の症状もなく、どうも朝一番で暑い中を連れて歩いたことが原因のような気がする。予定がくるってしまい、とにかくどこか外で遊びたいという上の子と、結局夕方になってからいつもの公園にいった。
娘が「どろだんごのしょうぶしよう」と言う。勘弁してくれよと思うが、以前約束したことだから一度はやらねばならんだろう。勝負を受けることにして、なるべく粘土質な土を探した。娘のほうは砂場へ直行だ。
同じエリアに五、六人の大人がいただろうか。一渡り見回して様子のおかしい人間はいないかとチェックを入れる。いつもやっていることだが、昨日のような事件があったあとではなんとなくお互いが探り合っているような気配を感じてしまう。そういうところがああいった事件の罪深さの一つだろう。
砂場が見通せる場所で適当な土のところをえらび、靴で地面を削って少しだけ水を混ぜ、とにかく泥ダンゴを一つ作った。それを娘に見せると、すぐにどうやって作ったのか教えてくれと言ってきた。一目見ただけで砂場の砂と水で作ったものとの違いがわかったらしく、そのへんさすがに泥ダンゴ作りが得意だと自負しているだけのことはある。以後は娘と泥ダンゴを作りながら、きかれるままに土の選び方や砂との違いを話していた。泥に関する知識は、娘にとっての尊敬の対象になったようだった。しかしそれだけ泥あそびが好きなのに砂場の砂しか知らなかったというのも寂しいものだ。
途中、ベンチに座って新聞を読みつづける男の、チラチラとこちらを見る視線が気になってしかたがなかった。帽子をかぶりジョギングをするような身なりで、自転車に乗ってきていた。無表情だが不機嫌にも見える。子どもがうるさいと言いたげにも見えるが、読んでいる新聞――昨日の事件に関する見出しが見えていた――の影響があるのかもしれなかった。わたしが本当に父親かどうかを疑っているということもありうる。たしかに、子どもと一緒に地べたにしゃがみ込んで泥ダンゴを作っている大人も、今どきはまともには見えないのかもしれない。
|