|
最近、子どもが花壇などの花をちぎることについて親のしつけがなってない、非常識だという話に遭遇することがつづいた。思い当たるフシがあるので少しばかり耳が痛い。
上の子が二歳台のとき、公園の植え込みの花に興味を持つようになり、それをちぎろうとして困ったと妻からきくようになった。そのとき初めて自分の子どもがそういう意味でどれほど貧弱な環境にいるのかということを認識した。そう思って見回してみると、植物の生える場所はマンションの植え込みぐらいしかなく、そもそも雑草の生えるような土の地面がないのだった。近所の児童公園なら少しぐらいは草も生えているけれど、愛犬たちの公衆トイレでもあるため、無制限に子どもにさわらせるわけにもいかない。もっと離れた公園までいけばシロツメクサやタンポポぐらいは咲いていたが、一キロに近くなるぐらいの距離を歩かねばならなかった。
ちょうどその当時、神戸の連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)があったのはやはりショッキングなことだった。事件そのものには特異な部分があるとしても、若い世代の生命観の希薄さ云々などと言われると、目の前のわが子に少しでも豊かな自然環境でいろいろな生き物と接触させてやらねばなどと思ったものだった。事件ばかりではなく、そういう気にさせる話題はたくさんある。蝶々を捕まえたり花を摘んだりすればそれでいいというわけでもないけれど、それができないよりはできたほうがよっぽどいいだろう。
そんなことを考えるようになってから、公園の植え込みや花壇に関しては、わたしは少しルーズになった。たとえばざっと見て数百株はありそうなペチュニアなら、子どもがどうしても欲しいといえば一株のうちの一つ二つの花を失敬したことも何度かある。植え込みではないところに生えたシロツメクサやタンポポなら、事実上好きなようにさせてきた。妻によると、三歳台の一時期タンポポ狩りに熱中して、友だちと二人で、狭い範囲ではあるものの、目につく花を全部刈ってしまったこともあったらしい。翌日同じところにいくと新しい花が咲いておりむすめによる蛮行の痕跡もわからなかったのでホッとしたということだった。
そういった子どもの行為を是認することが、親として非常識だと非難される可能性のあることはよく承知している。もちろん、けっして勧めているわけでもないし、私的な花壇などで大切にされている植物を傷つけることは許さない。あくまで一キロほど歩いて遊びにいく公園での話だ。そこでの花摘みを禁じてしまうことは、事実上子どもの日常生活から花を手に取るという体験を奪ってしまうことになりかねない。だから公園の花壇や地面が許容してくれそうな範囲であれば、非常識と呼ばれるほうがいいだろうという判断をしてきたのだった。しかし子どものことだ、公園で叱られなかったら他のところでやってしまうこともあったかもしれない。
子どもに花壇の花をちぎらせる非常識な親という非難は、たしかに耳が痛い。確信犯としてその非難は甘受しようと思う。だが一つ感じているのは、そういう非難のみに終始して満足しているような態度からは、花壇の花しかちぎる花がない環境で育っている子どもの生活に対する想像力は生まれないだろうということだ。それがなければ、子どもが育つ環境を改善することもできないだろう。子どもの生活から花を摘んで遊べる程度の環境を奪ってしまうことの非常識も、ぜひ指摘してもらいたいものだ。
|