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2001年7月17日(火)
◆《再会の抱擁》

 十四日の土曜日は転園前の幼稚園の夏祭り大会だった。転園後も仲良しのお友だちのおうちから一緒に行こうと誘っていただき、行くことにしたらしかった。転園については、娘にはかねてから「たくさん遊べる幼稚園のほうが面白そうだから転園した」と説明しており、納得しているようだったので特に問題はないだろうと思っていた。娘のほうも少なくとも表面的には以前の友だちや担任の先生と会えることを楽しみにしていた。

 感動の再会は幼稚園に着くとすぐにおとずれた。以前の担任の先生は、娘に気がつくと驚きの表情になり、娘の名前を呼ぶと走り寄って抱きしめた。娘の両頬に手を添えて顔をくしゃくしゃにするようにしてからもう一度抱きしめる。そういえばこの幼稚園では先生たちがそんなふうに子どもを抱くことが多かった。少なくとも半年ぶりぐらいでその抱擁を受ける娘の顔は緊張と戸惑いでひきつり、まぶしそうな表情になっていた。先生に尋ねられるままに、何事かを短く受け答えしている。その奥にある想いは懐かしさなのか切なさなのか、それとももっと他のものなのかわたしにはちょっと想像がつかなかった。夕暮れどきの光が酸っぱいようなまぶしげな表情は、わたしのレパートリーにはなかった。転園したことは娘のために良かったと九十パーセントぐらいまでの自信があったつもりだが、それは所詮九十パーセントなのだと思った。逆にいえば、満たすことのできないものを確実に娘の中に残したということなのだろう。もちろんそれが十パーセントとはかぎらない。

 ヨーヨー釣りなどのアトラクションを一通り終えたころ、なんとなく言葉少なな娘に、ダンゴムシはいてないの? ときいてみた。今の幼稚園では大のお気に入りで、友だち状態なのだった。すると、あっさりと「いないよ」と言う。「どうしてわかるの?」ときくと、笑いながら「だっていないやん」と言った。「そんなことないやろー、いてるよきっと」とわたしが言うと、「だっていしとかね、かくれるところがないもん」と言った。たしかに手近な場所で植え込みのあるところを見てみてもきれいに掃除されてはいる。しかし探してみようともしないでいないと言い切るというのは予想外の反応だった。あるいはここはそういう遊びをする場所ではないのだということだろうか。実際にそのあとでわたしが少し探してみると、抜け殻のようなものはすぐに見つけることができた。

 会いたかった友だちがなかなか見つからないようだったが、そろそろ帰ろうというころになってようやく会うことができた。その子も風邪ひきが多く休みがちだときいていたが、この半年で表情もしっかりして大人びたような気がする。その子が先生と同じように娘を抱きしめた。そしてその日の抱擁はその二回だけだった。それが娘の予想どおりだったかどうかはわからない。
 妻子で浴衣だったこともありクタクタに疲れて幼稚園をでたものの、途中の公園で歩けなくなってしまった。慣れない下駄ばきで足も痛んでいたようだ。結局わたしだけが先に戻り、車で迎えにいったことはナイショになっている。


♪ with "Reptile" / Eric Clapton