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「素麺とスパゲッティとどっちがいい?」ときかないほうがよかったのだろう。しかしまぁなりゆきできいてしまうこともある。結果的には上の娘の気分に反して素麺になってしまった。どちらも好物だからいいようなものだが、それでもあとから不平を言われないように「素麺でいいな」ときちんと念を押した。それにもかかわらず実際に昼ご飯になると「スパゲッティがたべたかった」とふくれ面になってしまった。
似たようなことが最近多い。わたしは特にこういうのが嫌いで、少し前にもどやしつけたばかりだ。今回もかなりきつい言葉で叱った。
「せやからなんべんもきいたやろ。……わかった、もう食べるな」
「いやや」
「あかん、食べるな。絶対食べるな」
「いやや! パパのたからものっていうたくせに」
「そんなわがまま言うやつは宝物やない。ただのゴミや」
「たべへんかったら、しんでもええんか」
「憎たらしい物言いばっかり覚えやがって、一食抜いたぐらいで死ぬんやったらさっさと死ね!」
売り言葉に買い言葉とはいえ、そこまで言うのかという気配が妻の方向から伝わってくる。ちなみに妻は娘が同じように「しんでもええんか」と言ったときには、どんなに怒っていても絶対に「死んだらあかん」と言う。そう決めているようだ。わたしにもそういった禁句感覚はあるのだが、同時に、五年間娘の成長とつきあってきて少々の言葉では揺るがない信頼関係ができたような感覚――あるいは錯覚――もあり、それを確かめてみたいような部分もあるのだろう。とにかく、言ってしまったものはしかたがなかった。娘のほうも妻のときとは異なる展開に面食らったのか、そこで言葉がとぎれてしまい、大きな声で泣きはじめた。しかしまだ許さない。これが最初ではないということもあるけれど、つづけるほうがそんな言葉の問題ではないということが伝わるような気もしたからだ。最近の同じような例を並べて、「そういう、人がしてくれたことにグチグチいうようなわがままは、パパは一番嫌いなんや。せやから食べるなよ!」と言い渡す。泣き声が一段と大きくなった。
とはいうものの、実はそれほど深刻な事態でもない。妻やわたしの母がいろいろとフォローしてくれていた。わたしが本当に怒って食べさせないつもりなら、子どもをそのまま座らせてはおかないだろう。そのへんは子どものほうでも見切っているようで、そのままわたしの言葉を無視する形で素麺を食べ、そのうちに「ごめんなさい」と言ってきた。そのときは「わかった」とだけ答えた。
こういうときに下の娘がいるのはありがたい。「ねーねー(姉)」という一言でその場の空気が変わる。食べ終わるとすぐに姉妹で遊びはじめ、そこにあれこれと口を出しながら、上の娘が気にしていないという感触をえる。それは、あまり軽はずみな物言いはしないようにという自分への確認の時間でもある。この先数日は、機会をみては大丈夫かなと気にすることになるだろう。もう「しんでもええんか」みたいなことは言わないでいてくれるのが一番いいのだけれど。
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