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月曜日から幼稚園のプール開放が復活している。上の娘がさっそく行く予定にしていたのに、朝になってからやっぱり行かないと言いだした。夏休み前半のプール開放も最後のほうは少し嫌気がしていたようで、それを思い出したらしい。詳しくきくと、水鉄砲で顔ばかり狙う男の子がいるのでイヤだとのこと。こういうようなとき、娘が男の子だったら「しっかりしろ」の一言で行かせるのかもしれないなぁと想像することがよくある。結局、「友だちはきっと本気でいじめようと思ってないのに、おまえのほうからイヤがって行かなくなったりすると、相手の子も悲しくなるよ。みんなも心配するよ」という言葉で気を取り直してくれた。ところが初日はプールの掃除だったらしい。つまんなかったとエラそうに言ってたが、きっとそれなりに楽しんだのだろう。
火曜日も、少しだが行くの行かないのと言っていた。どちらでもいいのだけれど、昨日も今日もとなると何かあるのかなと気になってくる。先生がホースで水をかけるのがどうとかと言っていたが、結局行って、楽しんで帰ってきたようだ。
そして今日は結局行かなかった。やはり先生がホースで水をかけるのがイヤだと言っていたけれど、ちょっとでもイヤなことを探してるような感じもある。このところ朝起きるのが遅くなっていたので、単に体のコンディションができあがっていないだけなのかもしれない。
いずれにしてもこういうことがあるたびに、転園させたときに子どもの「幼稚園が楽しくないので行きたくない」という感覚を尊重しすぎたのではないかと気がかりになる。何かちょっとでもイヤなことがあれば拒否したり休んだりすればいい、と考えるようになってしまったのではないかということだ。想像がつくだけにそのあたりはずっと気にしている。それだけに、なるべく詳しい話をさせて、子どものほうで対処できる、あるいは対処するべきだということについてはしっかりしろ的な話になる。ただ、女の子であるだけに、運動能力的な面で対処しきれないものもあるのかもしれない。そのあたりは父親としてはまったくの手探りになってしまう。
おもしろいや楽しいという価値観を、結果的に押しつけすぎてきた面もあるかもしれない。親にすれば楽しさが積極性につながるようなイメージで、おもしろいや楽しいに少しこだわっていたところがあるのだが、裏を返せばおもしろくないものや楽しくないものも選別していたのかもしれない。たとえばおもしろいに対して親が過剰にあおってしまうと、いつの間にかおもしろくないものを必要以上に忌避させてしまうような感じだ。ほっておくとおもしろくないということのマイナスのイメージがどんどん固定化して、徹底してしまうような感じ。本来子どもにはそういうところがあるような気もするが、ひょっとすると上の娘の特徴だろうか、うっかりするとわけのわからないダークサイドができてしまうようなところがある。そこに入ってしまうと自力ではなかなか出てこられないような感じ。よくわからないが、親子してそのあたりをここらで少し整理したほうがいいような気がしている……。
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