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2001年9月23日(日)
◆《ラピュタのこわさ》

 朝起きてすぐ、上の娘が「天空の城ラピュタ」を観たいという。もともとビデオを観すぎで、このところますます拍車がかかっている感じだが、休みの朝からどうこうもイヤなのでつけてやった。わたしはしばらくしてジョギングに出た。帰ってきてからの朝食のとき、ラピュタの中でシータがつかまり、これからクライマックスというところだった。

 食事をしながら、ほとんど内容を知らないおばあちゃんにむかって娘の解説が入る。これはね、おそらにうかぶしまやねん、シータはひめやねんで……
「そう。撃たれても平気やねんな」
「ちがうねん、あれはかみのけをうたれてん」
 そのとおりだ。かなりの距離だが、束ねた髪のまず左をとばされ、そのすぐあとで右をとばされた。“次は耳だ”とムスカ(悪役)がいっている。
「パズーがたすけにきてな、ふたりでまほうのことばをいうねん…… ほらね」
 魔法の言葉というのは自爆命令のようなもので、以後は空に浮かぶ島が凄まじい勢いで崩壊しはじめたのだった。

 去年だったか「となりのトトロ」を喜ぶので、試しにラピュタを見せたら「ちょっとこわい」と言われてしまった。そう言われれば、なるほど線は優しいけれどもアクションは派手だし破壊や爆発のシーンもけっこうある。二歳ぐらいのころにうっかりつけていたテレビ(たしか「はみだし刑事」だったか)の格闘シーンを見つめて「こわい」とつぶやかれて以来二度目のことだった。アンパンマンではあまり言わないので、娘としてはやはり何かちがうものを感じるのだろう。とはいえ宮崎作品は友だちのあいだでも話題になるようで、いつのまにか楽しんで観るようになっていた。
 ふと、娘の感じていたこわさは楽しさに変わってしまったのだろうかと考えた。耳をかすめて弾が飛んでいくなんていうのは、普通なら想像するだけで首がすくみそうになる感じだ。そんな想像力が途中で発達をやめてしまったのだろうか。あるいはこわくなくなったというより、慣れてしまっただけなのかもしれない。作りごと(娘の言葉ではウソ)であるということを理解できるようになっているから、こわい!と感じながらも「これはウソなんだ」と無意識に打ち消しながら慣れていったのだろうか。なにもそこまでして慣れることもないような気もするけれども……。

 ビデオが終わると生のテレビのほうは、アメリカの武力攻撃に狂牛病の話題だ。チャンネルをかえると、夫の遺体を車ごと焼いた妻の話がでてきたりする。こっちもウソならいいのだが全部現実らしい。


♪ with "Nick Of Time" / Bonnie Laitt