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おもちゃのスロットマシーンがある。専用のコインを使い、絵がそろうとそれに見合ったコインが出てくる。上の娘の大のお気に入りだ。下の娘がコインを飲み込むといけないのでしばらく禁止になっていたが、久々に引っぱり出すとすでに下の娘も興味を持つようになっていた。これがまた、自分でコインを入れては出してくれといっていちいち持ってくる。ちっちゃい手でややこしい持ち方をするため、危なっかしくてしかたがない。カドが尖っていて適当な重さもあるため、足の上にでも落とすとケガするだろう。さらにそれを姉妹で取り合いしたため、昨夜再び使用禁止となった。
今朝、起きるとすぐに上の娘が見つけてあそんでいた。電池をぬいてあったので、まだ寝ている妻に電池を入れてくれとせがむ。――だめ。ケチ。しつこく繰り返すので最後にはわたしが割って入ったが、話し終わったあと、すぐにまたやろうとしたため今度は少しきつく叱った。久々にお尻叩きのポーズにも及んだ。ポーズだけだが。
子どもを叱るということは大切なことではあるが、難しいことでもあるとつくづく思う。叱るだけですめばいいのだが、状況によっては怒りも見せないといけないし、実際に怒りもする。どんどん成長していくので、それにも合わせていかねばならない。
そういえば、去年はきつく叱ることが多かった。結果的に幼稚園をかわったぐらいなので、子ども自身がストレスでイライラしていたことも多く、自ずとそれに対抗していたのだろう。今年はそれと比べると「わかればそれでいい」で済ませられるケースが多い。いや、妻には別の感想があるかもしれないが……。
そして、叱られたあと爽快感のようなものを子どもが感じているように見えることが、今年もやはりちょいちょいとある。なんというのか、たとえばなかなか気合いが入らずにその日の練習にだらだら取り組んでいるとき、先輩や顧問の先生からの適当な喝が入ったためにそのあとを充実して過ごせたような感覚――だろうか。それはちょっと良すぎる喩えのような気もするが、そんなような感じだ。
書いてみると、いつもそんな「喝」になっていればいいような気もする。だが実際に叱る前にはなかなかあれこれ考えられるものでもない。とするとフォローか。
なんにせよ、強く叱った後というのは気の重いものだ。幼稚園におくっていくとき何気なく声をかけた。
「なぁ、大きくなってもずっと仲良しでいられたらいいのにな」
「うん。そうだよね」
「そうか? そう思う?」
「おもうよ」
「思うよな」
「でも、としもちがうからねぇー」
「……トシ? なにそれ」
「だってこどもはまだちいさいでしょう? だからおおきくなったらどうなるかは、わっかりませ〜ん」
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