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子どもがどれぐらい「人間」かを考えたことがたまにあった。もちろん最初から人間なのだが、生まれたばかりのころなどは刺激に対する反応が発達していく様子であるとか、言葉が通じず一方的になにかを求めてくるだけだったりする部分など、どことなく別の生物を見るような感覚があったりする。その可愛さもリクツを超越していて、一般的な人間と同じ生物だとは思えなかったりするのだ。それがだんだん普通の人間になってくるのは、大雑把にいうと言葉のやりとりが発達してくるにつれて、だろうか。
上の娘が三歳ちょうどぐらいのころだったか、お友だちの子と話していて、ふと、ちゃんと人間として接しないとだめだなと感じたことがあった。なぜそう感じたかは忘れてしまった。とにかくそれがきっかけで、わたしの中の「子ども」は「小さな人間」あるいは「幼い人間」になっていった。自分の子どもとの関係も、親子関係よりもまず人間関係としてとらえたほうがいいのではないかと考えるようになった。といっても、親でなくなるわけではないから具体的にどうこうではない。子どもとの関係を考えるときのチェックポイントのようなものだ。
上の娘と妻が話すのを聞いていると、そろそろごく普通の会話に思えたりすることがある。
「今日は幼稚園のサッカー教室どうする?」
「やるよ」
「風邪は?」
「だいじょうぶ」
「咳出るんでしょう?」
「でるけどだいじょうぶ」
といった具合だ。何気ないやりとりなのに、なんだか一人前だなと思ったりする。大きくなってきた。
姉妹ゲンカをしても、姉はどちらがどうしたからああなってこうなったというのを懸命に主張しようとする。本気で真剣だ。それはよくわかるのだが、やはりそこは、「妹はまだわからないんやから、がまんしてやってくれ」で通すしかないことが多い。なにが楽しいのかと思うほどきゃっきゃと騒いでいることもあれば、悔しくて涙を流すこともあるわけだ。
顔に、小さいけれども新しいひっかき傷をつけられたお姉ちゃん。その涙目を見ながら、もう一年ぐらいすればわかってくるから……と言おうとして、結局、二歳に満たない妹を一番人間扱いしているのがこのお姉ちゃんなのだと気づいたりしている。
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