|
朝一番で妻子がハムスターをもらってきた。飼い方の本やエサまでいただいたとのことで、当然ながら子どもたちは大喜び。上の娘流にいうと「みけネコみたいなもよう」のハムスターなのでミケちゃんと命名、「家族が増えた」とはしゃいでいた。
これでわが家には人間の他、金魚、アマガエル、ハムスターが暮らすことになる。子どもは、子どもだけでは育たないということだろうか。手当たり次第に生き物を飼ってきたわたしが偉そうに言えることではないけれども。
いわゆる独居老人である親戚から、具合が悪くなったという電話があった。世間的なつきあいを好まないところのある人なので、普段の行き来もほとんどないのだが、こういうときにはわたし(の母)のところに連絡がくる。駆けつけてみると、おもに右足に麻痺があるようで、午前、午後と訪ねるうちに悪化していくようだった。さらに夜、わたしの兄と一緒に訪ねて、結局救急車を呼ぶことになった。
救急車には兄が同乗し、わたしがそれを車で追いかける形になった。これは初体験だった。すぐに、赤信号で交差点に入っていく救急車のあとについていくかどうかの判断を迫られることになる。この場合はやはり信号を待つしかないだろう。当たり前のことだが、救急車を遵法運転で追いかけるのは無理な話だった。信号がかわったときにはすでに救急車の音も聞こえず回転灯も見えなかったが、その方向にある病院はよく知っていたので最終的にははぐれずにすんだ。
病院というのは、まして救急科というのは気の晴れる場所ではない。といって雑誌などがおいてあるわけもなく、あちこちにガムテープを貼って破れ目を隠してあるビニールレザー張りのベンチで、ただ兄と話しながら時間をつぶした。小一時間たって救急医から話があり、入院がきまった。自分で歩くことができないので仕方のないところだろう。
病室にいき、あとは明日あらためて必要な物を持ってくるという段取りかと思っていたら、談話室で待てと看護婦に言われた。その時点で午後十時を過ぎていた。昼飯のあと何も食べておらず、長かった一日の疲れからか欠伸ばかり出てくる。さすがにさらに待たされるというのは辛かった。しかも何を待つのかもわからない。結局三十分以上が過ぎてから、無愛想な看護婦が言ってきた。「今日は入院に必要なものはお持ちでないんですね」。この場合「ないですよね」と言われるのとは印象が全然ちがう。“当たり前やろ、救急車できたんやから”と思いながらも、ただ「はい」と答えた。そしてやはり必要なもののリストをもらって終わりだった。以前からわたしが持っている、この病院に対する良くない印象は、今回も変わりそうにない感じだった。
|