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2001年11月23日(金)
◆《ごめんなさい》

 少し前のことになるけれど、上の娘がやたらと「ごめんなさい」を連発したときがあった。友だち同士のトラブルの場合などは別として、もともと親に対しては特に謝ることを強いてはこなかったのでひっかかった。

「ごめんなさい」というのは失敗や非礼をわびる言葉だと辞書にはある。日常的なレベルでは、わたしの感覚では、人に迷惑――特にちょっとした迷惑――をかけたときの「ごめんなさい」がもっとも頻繁に使うケースだろうか。だから娘にもまずそのあたりから学んでほしいと考えていた。その反面、子どもの失敗も非礼もわたしにとっては迷惑でもなんでもないので、わたしにむかって「ごめんなさい」と言わせる気にはならない。もちろん場合や程度によるのは当然で、大切にしているものを傷つけたりしたときなどは一言ぐらい謝ってもらわないとけじめがつかないものだが、それでも基本的には友だちや姉妹とのつきあいの中で「ごめんなさい」を体得していってほしい気がしていた。

 今年の初夏のころだったか、娘が反射的な「ごめんなさい」を言ったことがあった。たとえば膝の上に乗らせてくれといってあそんでいるうちに、娘の固い頭がわたしのアゴに当たって「あ痛っ!」というようなときだ。こういうのが、なかなか言えるようにならないものだなと感じていたので、気がついたときにはちょっとした感慨があった。おー、だんだん大きくなってきたなぁというところだ。

 それが夏ごろには口をとがらせた、しょげたような声で「ごめんなさい」というのを覚えた。姉妹喧嘩をしたときなどは謝るようにさせるのでそれもあったのだろう。そしてだんだんとその言い方が頻繁になり、気持ちのこもらない、単なる手続きのような「ごめんなさい」が増えてきて、最初に書いたような時期にわたしが一度「ナメてるのか!?」と叱ったのだった。

 あっさりと、以後はそんな「ごめんなさい」が無くなったように思う。だが最近はすこし無くなりすぎているところもあって、腹が立ったりもするから勝手なものだ。
 あそびのテンションが高いときにおかたづけになるとこじれやすい。仕方のないところだけれど、最近は堂々と「ちょっとぐらいまってよー」などという抵抗、あるいは交渉を試みてくる。しかし交渉があるとそれだけ約束の重みも増すわけで、そのとおりに“ちょっと”待ったあとは是が非でも言うことをきいてもらわないと、親としてもシメシがつかない。そうしてさらにあれこれ言わなければならなくわけだが、このところあきらかに「ごめんなさい」のタイミングが遅くなってきている。というか、声を荒げたりしないかぎりほとんど言わない感じだ。休みの日など、上の娘と妻とでひとわたりモメたあと、わたしやわたしの母があいだに入ってやっとこさ「ママ、ごめんなさい」になることが多い。
 それにしても、親のほうはいつまでも子どもがいうことをきくと思っているものだ……という話があるけれど、ほんとにそのとおり。


♪ with "The Look Of Love" / Diana Krall