
上の娘の参観日。よくわからなかったのだが、どうやら卒園記念の行事のようなところがあるらしい。娘のことばでいうとそれぞれの園児が「とくいなあそびのれんしゅう」をして、披露するということのようだ。先日来帰宅後もわたしの母の部屋にこもって絵を描いていたオリジナル紙芝居も、みんながやるわけではないらしい。
なんとか都合をつけて見たかったが、午前中は、脳梗塞で入院している親戚を転院前の病院につれていかねばならなかった。入院中に受けた白内障の手術の術後検診で、どうにもならなかった。 朝の小一時間だけ幼稚園を覗き、そのあとは病院へいった。
大した作業はしていないにもかかわらず、病院というのは疲れるところだ。車椅子を押して外来にかかるというのが初めてのことだったせいもある。寒い日だったのであわてて中に入れ、エレベータはどこだと探してとにかく受付までいくと、診察券などを車に忘れていてまたあわてて取りに戻る。病院の中は暖かいのでそれだけでも汗だくになってしまう。そんな調子だった。
検査が終わって入院している病院にもどるころには、親戚の頭には遅くなった昼食のことしかないようだった。慣れてはきたが、それもまた疲れを感じさせる。
娘はなかなかがんばったとのことだった。紙芝居は娘だけで、他には一輪車やとび箱や鉄棒、メロディオンなどを披露した子がいたらしい。背の高さほどの竹馬に乗って見せた子もいたとか。娘のことばでは「とくいなあそび」の発表ということだったが、わたしはどうもこの種の「あそび」ということばにはひっかかりを感じたりする。特におとなが使う「あそび」には「価値のある事をせずにいる」というニュアンスがあり、それが子どもの「あそび」とは正反対に近い感じがするからだ。単に「とくいなこと」で十分だ。あとで見せてもらったプログラムのプリントも基本的にはそうなっていた。結局、あそびやあそび場所が不足したままで育つということは、「とくいなこと」もできずに育つということなのだろう。
とくいなだけに、失敗したときには成功するまでトライする子が多かったらしい。先生がたもそれを受け入れていて、急かすことなくゆったりと見守っていたのが、暖かい感じでとてもよかったと妻が言っていた。この幼稚園の真骨頂だろう。園児のがんばりに涙する先生もいたとか。とにかく、娘の「とくいなこと」を見てみたかった。
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娘が幼稚園から帰ると、家の前に知らない車がとまっていた。運転席には丹念に化粧をした女性。その人の顔を見た娘は、あろうことかこう話しかけたらしい。「絵描いたみたいなまゆげー」なにを言いだすのかと、懸命にすみません笑いをして家に入った妻だったとか。しかしその人は特に悪びれるでもなく、自分でもまゆのあたりを撫でてから「描いたみたい?」と言って笑っていたらしい。そのへん、まゆを剃ったことのないわたしにはわからないのだが、どうなのだろう。実際に描いてあるのだから、ひょっとしてお化粧が上手ぐらいの意味になったりするのだろうか。それとも(子持ちの)大阪女の余裕とか。または腹の中では拳骨を握ってたりして……。
♪ with "Two Against Nature" / Steely Dan
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