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2003年11月16日(日)
◆《不器用な子どもたち》

 上の娘の小学校で創立何十周年かの記念祭がおこなわれた。PTAや子ども会の他、地域のいろいろな組織の協力を得ての開催だ。
 妻はPTA、子ども会、絵本サークルと大車輪の活躍を余儀なくされただが、一番人手の足りないPTAの「割り箸と輪ゴムで輪ゴムを飛ばす鉄砲を作ろう」のコーナーに張り付くことになった。自動的にわたしは下の娘のお相手となる。上の娘は勝手知ったるわが学校ということで、学校に着くとすぐに、楽しみにしていた陶芸教室に走っていってしまった。

 祭とは言え、対象年齢以下である下の娘の楽しめるコーナーはあまりなかった。挨拶を兼ねて子ども会の「たこせん(大判のせんべいにソース、天カス、青のり、マヨネーズで味つけ)」を買えば、青のりが嫌いで食べられないと言うし、あのおもちゃであそびたい……と引っ張って行かれたらフリーマーケットの商品だったりした。結局、妻のところで作った割り箸の輪ゴム鉄砲を気に入ってしばらくあそんだあと、模擬店でカレーライスを食べた。家のものよりホットだったが、いつもは全然食べない牛肉まで食べていた。

 午後になってから再び妻のところに寄り、成り行きで割り箸輪ゴム鉄砲の作り方を子どもに教えたりしていた。……が、今どきの子どもの不器用さを突きつけられて愕然としてしまった。

 妻たちはこちらのサイトを参考にして、輪ゴム鉄砲を作りやすいように、割り箸の長さを切りそろえたセットを用意していた。基本的には、あとはサンプルを参考にして割り箸を輪ゴムで縛りつけていけばよい。輪ゴムのかけかたは適当でよいが、実際にやってみせるし、手伝いもする。さらにできあがってからちゃんと輪ゴムが飛ぶように調整もするというコーナーだった。

 ところが実際に子ども相手にやってみてびっくりした。まず割り箸三本を使い、短い横軸を利用して輪ゴムで縛って銃身を作るのだが、わたしが見た四人のうち二人はまったくできなかったのだ。できないのはいいのだが、サンプルを見ても全然わからないと言うし、説明しても「むずい(難しい)」と言ってほとんどやってみようともしない。一応できた二人も縛り方がゆるゆるで、強く縛れと言ってもやりなおすことができなかった。
 以後は結局四人ともあきらめてしまって、すべてをわたしがやらなければならなかった。その間に子どもたちが発した言葉は「どうするの?」と「むずい」の繰り返しで、納得を示す表現はなかった。

 結果的にうまく作れないのはいいと思うのだが、それまでの取り組みにあまりにも手応えがなかった。どうなっているんだろうという好奇心もなければ、こうすればいいんじゃないかという思いつきもない。要は完成品が手に入ればそれでいいというのもわからないではないが、真似してやってみようとか「こんなん簡単やん、オレにもできるデ」といったアプローチも大切だろう。それらが簡単に「そんなん、むずい」で終わってしまう。
 もちろん、わたしが直接関わったのは四人ほどなのでそれを全体に拡張してしまうのは言い過ぎなのだが、帰宅後妻に話すと、彼女も一日中同じように感じていたということだった。ほとんどの割り箸鉄砲を結局作らされた気がするとのこと。二百組以上の割り箸のセットがさばけたというから、少なくとも五十人ぐらいは直接見ているだろう。安全に配慮した段ボールカッターを使った工作の授業で、カッターの通り道に手を置いたまま切ってしまってケガをする子どもがいるという教師の話をきいたことがあるのだが、それぐらいのことはあるだろうと納得がいったということだった。また二十分ほど様子を見ていたわたしの母までが同じような印象を持ったらしい。

 不器用というよりは未経験なのだと思う。だがその未経験が、目の前のモノに対して子どもなりの好奇心を喚起せず、受動的な態度ばかりを助長しているのなら、ここまでの時点ですでにずいぶん不毛な育ち方をしているように思う。未経験を強いてきた家庭やその他の環境に問題があると考えるほうがいいだろう。
 実際には、こういった子どもの状況はわたしでもけっこう以前から見聞きしているわけだが、そんな状況が認識されてからも特に改善する手だてもないままきているということだろうか。それとも取り立てて騒ぐほどのことでもないということか。たしかに、年齢が進むにつれて子ども自身も自覚できるようになるだろうし、どこかで効率よく補いがつくものなのかもしれない。……とは言っても、学年が進むにつれて未経験を補う余裕もなくなるような気もするのだが。

♪ with "Don't Dream It's Over" / Crowded House