
日付の当時、ビデオから取り込んでいたもの。耳のコチョコチョが好き〜の図。
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↑ 1996年夏。洗ったあとの散歩は元気。
それは今でも同じ。 ↓ |
 
 
再び1991年のビデオより。
うーむ、若さはあるが、やはり老け顔のきらいもあるか。 |

先日、外耳炎から顔の左半分が腫れて、左目があかなくてしまった。それでも散歩にいくと、小学生が逃げた。
大丈夫、きっとすぐにこんな顔にもどります! |
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なかなか更新ができない。
気に入った写真を写せない、というのを一番の理由にしている。
もちろん、写すのがヘタなせいもある。
去年十三歳(人間の六八歳ぐらい)になってから、めっきり老けた。
外耳炎を慢性化させてしまい、一、二ヶ月ごとに医者の世話になる。膿が溜まって平衡感覚を失い、歩けなくなってから症状に気づいたこともある。ひどい飼い主だ。
それでも彼自身が老いを言うわけでもないし、その目の光は、やはり永遠のあどけなさを宿している。
飼い主にはそれが少し哀しい。
だから新しい写真を使うか、未整理のままだった若いころの写真を使うか、迷っていた。
正月のあいだ、また耳を悪化させてしまい、休みのために医者にかかるのが遅れた。そのせいか、膿が溜まって顔が腫れ上がり、お岩さんのように左目がふさがってしまった。
それでも右目の光はあどけなかった。
治療を受け、左目がひらくようになったそのあと、左の後ろ足が立たなくなってしまった。それから三日になる。
歩けないことに苛立つような呻き声をあげたとき、ふと、彼の目から自信の光がなくなったような気がした。少しだけだが。
数日すれば治るだろうと言われているので、それほど心配はしていない。
けれど、今回は若いときの写真を使おうと決めた。そして、きれいに治ってから、新しい写真を撮ってページを作ってやろう。
1986年、大病をしたあとの父のリハビリを想定して、子犬であった彼と暮らすことを決めた。
父は、すぐにたくましくなっていく彼を、数回連れて歩くことができただけだった。彼が五歳のときに逝ってしまった。
なぜか、父が亡くなった日から、母の部屋の前で眠るようになり、やがて部屋の中で眠るようになった。
今、一番彼の世話をしている母にとっては、子どものようでもあり、友人でもあるのだろう。
そして老いの縮図を彼に見ている。
そこに、焦燥があるのか、諦観があるのか、絶望があるのか、それとももっと他の思いがあるのかは、まだわたしには想像がつかない。
いずれよくわかるときが来るのだろうか。(2000.1.16)
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