icon


- Part 6 -


 このページの一番下で紹介する本のことを書きたくて、ドンのページを更新することにしました。といってももちろんドンが死んでしまってからあとの話になります。このサイトの中の別コンテンツである「アメとムチの日々」の中でドンについて書いたものを集めました(若干修正しています)。よろしくおつきあいください。


◆《きみにあえてよかった》
2000.5.21(日)

「きみにあえてよかった」(エリザベス・デール文 フレデリック・ジュース絵 小川仁央訳 評論社)
 一月ほど前に子ども用に図書館で借りた絵本。あまり詳しい下読みをせずに借りることが多いので、ペットロス(ペットを失うことによるショック状態)の話だとは知らずに読み始め、子どもにはちょっと悪いことをした。

 昨日、図書館へいくのに犬の散歩のコースでもあった公園をとおったのはまずかった。知り合いには会うし、だいたいが公園の中は犬だらけだ。そしてどちらを向いても、そこにいたはずのドンのシルエットが黒く抜けているような気がする。
 この道では左側を歩き、この木のところでオシッコ。ここで曲がった…… いくらでも浮かんでくる。べつに公園にかぎらず、近所中がそうなんだけど。
 図書館についたら、なんとなくこの本をまた手にとっていた。

 それにしても哀しいもんだなぁ……。
 犬を飼ったのは初めてではなかったけれど、フルサイズの一生をつきあって、きちんと世話をしたのは初めてだ。室内で一緒に暮らしたのも初めてで、そのくせあんなに愛想のない犬も初めてだった。

 深夜、友人とICQ。
 彼自身が犬好きでもある友人が気をつかってくれた。あまりこらえようとせずに、思い切り悲しんで弔ってやったほうがいいよと。自分でもそう思う……というか、他にどうしようもない。次の犬っていうのは禁句?っていうから、そんなことないよと答えた。「きみにあえてよかった」も、哀しみから立ち直って次の犬を飼えるようになるまでの話だ。人間の身内が死んだら代わりはないけれど、ペットなら、代わりにはならなくても埋められるものはあるのかもしれない。

 ずっと世話をしていた母は体調をくずしているけれど、良くなったら、一度首輪だけ持って全部歩いてくると言っている。散歩したことのあるところ全部。動けなくなってからもきっと行きたかっただろうからと。
 一緒にいこうかなぁ、ちょっと心配だし。




◆《雨よ降れ》
2000.5.27(土)

 天気予報。夕方あたりは豪雨になるかもしれないとのこと。

 べつにかまわないな……。
 そう思っていると、助手席の母が、
「いややなぁ。……いややけど、かめへんわ。もう散歩せえへんし」
 と言った。同じことを思っていたらしい。

 犬が生きているときは、雨で散歩を休むことはほんとに少なかった。時間をずらせていくことも多かったし、犬の気合いが入っているときは、相当の雨の中でも歩かされたものだ。なにせ生理現象がかかっているだけに、そう簡単には休めないのだった。
 こういうことも思い出すものなんだな。

 ついでにある芸人の話も思い出した。
 彼はシェパードを飼っていたのだけれど、あるとき散歩を休もうと決めた。急用かなにかでいけなくなったのだったか、体調を崩したのだったか、理由は忘れたけれどとにかくそのときは犬との散歩をパスしようとした。そこで、玄関先などにザバザバと水をまいてからシェパードくんをひっぱり出してきて言い聞かせた。「な、見てみ、今日は雨や。せやから散歩はでけへんで、辛抱しいや」。賢いシェパードくんは、くんくんと空気の匂いをかぐと散歩をあきらめたらしい。
 翌日、その芸人が犬と顔を合わせたとき、その目になんの恨みも疑いも宿っていないことに気がついた。申し訳なくなって涙が流れた。あきらめたと思ったのも、本当はわかっていて辛抱してくれたのかもしれない。彼はシェパードくんに、「ごめんな……」と何度も何度も詫びた。

 ずっと以前に母からきいた話だ。テレビで見たのだろう。きいた当時は「そうしたいと思うときもあるで、ほんまに。毎日毎日なんやから」などという言葉と一緒だった。ところがさっききいてみたら、まったく覚えていないらしい。「かわいそうに。何にも言われへんのに、そんなことしたらあかんわ」と言っていた。
 感想が変わったのは、犬との関係が過去のものになったからだろうか。それともその芸人のイメージが大阪府知事から裁判の被告へと大きく変わってしまったからか……。




◆《空耳》
2000.9.14(木)

 チャリンチャリンという音が聞こえた。犬の首輪についた金具のなる音――五月にドンが死んでからいまだに聞こえる空耳だ。深夜の静けさの中だとよくわかる。もっともそろそろ窓をあける家も多くなる季節なので、実際の何かの音を聞き違えているのかもしれない。まぁどちらでもいいことだ。

 ドンがいたころは、夜になると一階の食卓のそばにあるソファか玄関で寝ていた。一晩のうちに幾度かその二カ所をいききするらしく、チャリンチャリンという音が聞こえたものだ。そして場所を整えて腰を下ろすとフン!という溜息を一つつく。たまに耳の後ろを掻いたりするときは、チャリチャリチャリチャリ……という音がしていた。
 外耳炎をこじらせて化膿止めの薬を飲むと、利尿作用のせいか、朝までガマンできなくなって台所でオシッコをした。若ければ叱りつけるところだが、十数年も一緒に暮らしていてしなかったことだ、きっとどうしようもないことだったのだろう。そのことで強く叱ったことはなかった。

 死んでからしばらくは、本当にチャリンチャリンという音が聞こえているような気がして、何度も振り向き、いたはずの場所を目で探したものだった。最近は頻度もおちたけれど、それだけに単純な空耳でもないような気がしている。帰って来てるのならもっとはっきり知らせてくれたらいいのに。

 なかなか寝つかれずに、もう一本缶ビールを飲もうと階下に降りて冷蔵庫を開けると、足下に水たまりがあった。……見覚えのある位置と量。そのとき、またチャリンチャリンが聞こえたような気がした。見回してみたけれどなんの気配もない。そういえば音が聞こえたときに台所に水たまりがあったのは二度めだったかな。それにしても、もうちょっと別な知らせ方もあるだろうに。でもまぁ、あいつだとすればあいつらしいような気もする。




◆《困った紙芝居》
2000.12.13(水)

 朝起きたときにふときいてみた。
「おはよう。あっちゃんの誕生日はいつになった?」
「あとふたつねたら。おばあちゃんがそういってたよ」
「で、一つ寝たからあと一つやろ?」
 といってもきょとんとした顔をしている。減っていかないと誕生日が永遠にこないデ。

 このところビデオに走りがちだったので、この二、三日は絵本と紙芝居で寝かしつけるようにしている。結果的にそのほうが早く寝てくれるので楽なのだ。今図書館から借りている紙芝居は「おしゃれなケーキのケーコさん」「あめたろう」「クリスマスのこいぬ」の三つ。どれもとても気に入ってくれたのはいいのだけれど、咳が出て声の出にくいときなので読むのもたいへんだ。
 特に「あめたろう」みたいな、龍神さまの出てくるような日本の昔話風のものは今まであまり好みではなかったので、少し世界が広がってきたようでこちらも嬉しくなる。ただ「クリスマスのこいぬ」はちょっと失敗だった。男の子がサンタクロースに子犬をもらう話で、どうしてもこの春死んでしまったドンのことを思い出させてしまうのだ。一度やってからはそぉっと避けていたのに、どうしてもというリクエストに負けてしまった。今まではただ「ドンちゃんかわいそうだね」とか「またドンちゃんにあいたい」などと言うだけだったのに、今日は「ドンちゃんくるしそうにしていたね。くろいおしっこしてたから、おうちにいっぱいしんぶんしいてた(新聞敷いてた)ね」と言われて驚いた。そんな記憶もちゃんと残っているのだ。
「サンタさんはドンちゃんくれないの?」
「くれないやろなぁ。ドンちゃんはもう死んでしもたんやから」
「かわいそうだね」
「うん。でも一杯長生きしたからな、仕方ないわ」
「パパはさみしくないの?」
「寂しいよ。ドンが小さなときからずっと一緒に散歩とかしてきたからな」
「ずっとおさんぽしてたの?」
「ずっとしてたなぁ……」
 こういうのは、言葉にすると自分でも予想しない回想の引き金になってしまったりする。ドンが小さいころのことも思い出されるけれど、やはり死んでしまう間際の、首に力の入っていない頭の軽さの感触がまだ生々しい。あのときも子どもの風邪などが重なって大変だったな……。妻は下の子から手が離せないし、朝から子どもの医者、わたしの母親の医者、犬の医者とまわらねばならず、それだけでクタクタになってしまったこともあった。ずいぶん前のことのような気もするけれどまだ半年ほどしか経っていない。




◆《あれから一年》
2001.5.16(水)

 何日か前、「近所はどこ歩いても、ここもドンとよぉ来たなぁと思うとこばっかりやわ」とわたしの母がいった。「寂しなってきたら、誰もおれへんかったら『ドンーっ!』て呼んだるねん」とも。今でもそんな思いになることがあるのかと一瞬驚いた。でも「ここも連れて歩いたな」と思うのは、実はわたしにもよくあることで、わたしよりももっと親身に世話をしていた母なら、そんなものかもしれなかった。

 ドンの瞳は大きめで黒かった。虹彩の部分があまりはっきりしていなくて、全体に黒く見えていた。じっと覗き込むとそのときの光の具合でその黒の色合いが微妙に変わる。すこし濁って見えたり、緑色や茶色が混ざったりした。そしてどこか無機的な光を宿してもいた。この世界がどんなふうに映っているのか、そしてどんなことを考えているのかを読み切れない分だけそんなふうに感じるのだろうとよく思ったものだ。そうやってドンの瞳を覗き込むことが、わたしは好きだったのだろう。そのどこか無機的で哀しげでもある瞳は今でも記憶に鮮明なままだ。

 彼が死んでから今日でちょうど一年になる。といって線香をあげるでもなく、わたしの母はケーキを買ってきた。ドンが大好きだったものだ。上の子に話すと泣きだして止まらなくなるので、特には告げず、いつものケーキと同じように食べた。この一年間、他の犬を飼うことも何度か話題にしたけれど、母にはその気はないようだった。「……なぁ、あんなにまで顔腫れて、かわいそうやったわ。もう犬はいらん。ドンかて、もっといろいろしてやれたかもしれへんけど、歳やってんからなぁ。治ったかてまた同じことになったかもしれへんし、もうあれはあれでええと思てるねん。歳はなぁ、歳はしゃあないわ」そんな言葉を何度も繰り返した。「そうやな」と迂闊にいえないわたしは、黙ってきくだけ。




◆《アンジュール ある犬の物語》
2001.7.19(木)

 久しぶりに子どもに絵本を買ってやろうとして選んでいるうちに、なにげなく手に取った本。その本には一切の文字がなかった。パラパラとめくっているうちに、茫漠とした景色の中に孤独にたたずむ犬の姿が焼きついてしまい、切なくてたまらなくなってしまった。無防備だった心の不意を打って、ある捨て犬の物語がどんどんしみこんでくる。最後までページを繰ったあとは泣けてきて困った。

 ドン(犬)が死んでしまってから一年以上になる。ドンもまた捨てられていた子犬で、妻の知り合いがマンションの屋上で見つけたのをもらい受けたのだった。当時、わたしの父が大きな手術をしたところで、リハビリをかねて散歩をさせたいという父の意向もあった。その後、父の回復よりもドンの成長のほうが早く、散歩はわたしと母の分担になった。
 父が亡くなってから引っ越したさきは、近くに大きな公園があり、犬の散歩が盛んだった。毎日顔を合わせることになるので、犬連れの人とはすぐに知り合いになる。一度の散歩で挨拶を交わす人の数はすぐに十人を越えた。犬同士の気が合えばさらに話も早かった。
 耳が垂れていたせいか、あるいはわたしの母が入念に手入れをしていたこともあったからか、ドンはよく「なんという種類の犬ですか?」ときかれた。ほんとのところは飼い主も知らないのだが、たぶん雑種だろう、捨て犬をもらい受けたのだと答えていた。相手から幸せな犬だ等と言われても、愛想のないドンは横を向いたままのことが多かった。散歩のあいだはそれどころではないという感じでもあった。
 あるとき、同じような話をしていた相手から、「うちの犬たちも子犬のときに家の前に捨てられてたんですよ。うちは食べ物屋をやってるんですけど、かわいそうでねぇ、結局飼うようになりました」という話をきかされた。その人はマルチーズのような小型の犬を三匹連れていた。「この公園で散歩している犬は多いけど、半分か、それ以上は捨て犬みたいですねぇ。子どもが拾ってきたのをまた捨てにいくわけにもいかずに飼ってたりとか……」とも言っていた。新参者だったわたしに、あの犬もそう、あれもそうと教えてくれる。なるほど、雑種の犬を買う人はいないだろうから、そのほとんどと血統書のあるような犬の一部までを入れれば、半分以上が捨て犬という話もたしかに大げさではないような気がした。散歩で出会ってクンクンとやりあううちに「どこから?」「知らない、遠くから」「そう。実はオレも」などという会話が成り立っているのかもしれない。

 ……そんなことを考えたこともあったなぁと、もう一度愛犬に会えたような気のする本。



アンジュール カブリエル・バンサン絵(BL出版




ドンな犬? TopPart 1Part 2Part 3Part 4part 5Part 6

HOMEご案内アメとムチの日々あるばむ暖談畑おまけExit & Links


y カウンタ t カウンタ s カウンタ