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2000年5月16日(火)
 母親が腹痛を言い出した。連休中にわたしが風邪で高熱を出したときにも、胃腸をやられてたいへんだった。同じやつにやられたのであれば、シビアなことになるぞ……。

 ドンは、昼間は母の部屋にいるのだが、母もその横で枕も出さずに横になっていた。ドンの寝場所が押入の扉の前なので出せなかったのだ。とにかく布団を敷くためにドンを移動した。
 そうしておいて、昨日医者からきいたように砂糖水をスポイトで与えてみる。ペロペロとなめた。そうやって半ば無理やり飲まされているうちに、少しは興味が湧いたらしく、頭を持ち上げて水入れから直接飲もうとするようになった。久々の明るい兆候に、部屋の中に光が射し込んだような気分になる。そのうちに前足を立てるような仕草までするようになった。もう少しだ、もう少しで自力で立てそうだ。母にそれを知らせるとこちらもいっぺんに明るい表情になった。明日また点滴してもらおう、そうすればもっと良くなるだろうというような話をした。

 夕方、母を医者につれていく。このところのドンの様態のせいもあって風邪気味だったので、昨日も行ったばかりだ。昨日は疲労の度合いが尿検査などにも出ていたのだろう、ドンのことを話すと「犬より人間のほうが大事ですからねぇ、ほどほどにしないと……」などと言われたらしい。
「そんなこと言うたかてなぁ、犬かて一緒にいてるんやからほっとかれへんやんか」
 と、昨日のことをあらためてボヤく母。
「そうやなぁ、家族が一人死にかかってるようなもんやからな」
 などと答える息子。とはいうものの、どちらもことさらの犬好きというわけでもない。二人ともどちらかというとクールなほうで、犬は犬、人は人というスタンスに近いだろう。さらには犬のほうもクール……というか変わっていて、なめたりじゃれついたりということがほんとうに苦手だった。
 それでもいざこういう事態になると家族云々という言葉が出てくる。擬人化することで心配や苦労を表現したいわけではない。ただ長い間ずっと一緒にいたから家族だというだけのことだ。人間であれ犬であれ、それぞれができあがってから家族になるわけでもない。縁があってまず一緒にいて、そしてずっと一緒にいて、いろいろな経験を共有してきた、だから家族なんだというだけで十分だろう。
「今日また同じこと言うたら、横向いたるねん」
 そう言いながら母は医院に入っていった。

 診察の結果はなんと食中毒だった。このところの疲れもあって、黒酢とともに長年飲み続けていたきのこヨーグルトにあたったのだろうとのこと。帰り道でも車を降りて吐くような状態で帰ってきた。ドンだけではない、六ヶ月の下の子も軽い喘息をおこしかけてると言われている折りに、えらいことになってしまった。

 ドンは夕方ぐらいから何度も吐いた。なにも食べていないから出るものもあまりないのだが、それでも吐いた。苦しそうだった。昨日の点滴のせいか体は幾分ふっくらしたようにも見える。しかし呼吸に混じるゼイゼイという音は大きくなっていた。吐くたびに、敷いてある新聞紙やタオルを替えたりしているだけでどんどん時間が過ぎていく。ちゃんと顔を拭いてやろうとして持ち上げた頭の軽さが不意をついてきた。どきりとするほど、首にまったく力が入っていなかった。数時間前は自分で水を飲もうとしていたのに、目も虚ろで弱々しかった。砂糖水が良くなかったのだろうか。
 バタバタしているうちに九時を過ぎると、子どもたちも寝て、ドンも少し落ち着いた感じになった。唐突にやってきた静寂のような時間だ。とにかく一息つく。けれど、くたくたなのに気持ちがゆるみそうになかった。こういうときは気晴らしの映画に限ると「マトリックス」を見始める。だが、二〜三十分ごとに階下からドンのえずく声が聞こえてきて、そのたびに中断することになった。三度めで映画はあきらめた。
 下では母が起きてきて座っていた。少し落ち着いたらしい。
「苦しそうな声やなぁ…… 寝てられへんわ。今ちょっと拭いたったんや」
 と言う。あとはオレがするからと代わったが、ドンの苦しげな様子に、その時初めて今夜かもしれないという思いがよぎった。
 ……ほんとかよ。ついさっき、嬉しそうに砂糖水を飲んだじゃないか。絶対元気になると信じていたのに、ほんとに死ぬのかよ。そんなにきれいな目なのに、そんなに老いたのか?そんなに苦しいのか?がんばってもう一度元気になってくれよ、と語りかけたとき、突然、もう一回こいつと散歩して歩きたいという思いが強烈にこみあげてきて、涙がポロポロこぼれた。急に今までのいろんなシーンが浮かんでくる。子犬のときにあまりにも地面の匂いばかり嗅ぐのでリードを引っ張ったら、強すぎて転がってしまったこと。散歩の途中よその犬をからかうように吠えていたら、その日はつながれていなくて、追いかけられてかまれたこと。ヘンなオヤジが狭いところで急に自分の犬をけしかけてきたので、あわてて逃げたら首吊りみたいになってしまったこと。そしてそのあとオヤジに向かって思いっ切り怒鳴りつけてやったこと。引っ越す前の工場で、真っ黒になってネコを追いかけ回しているうちに機械の部品を倒して大けがをしそうになったこと。引っ越してから新しい環境に慣れるまで、狂ったように歩き回ったこと。暑かったこと、寒かったこと、雨の日に雪の日……。わき水のようにいくらでも記憶がよみがえってきた。子どものように大声をあげて泣きたかった。

 四度めに降りて敷いてある新聞紙を取り替えてやろうとしたとき、なにかの発作のように四肢を伸ばしきって体を硬直させ、鋭く短くないたのが彼の最期だった。
 呼吸が止まって体からすべての動きが消えていく。目の前で起こっていることなのに、夢を見ているようにぼんやりとしていた。現実を受け入れるために、ほんとに死んだんだと幾度か自分に言い聞かせながら、亡骸になった彼をしばらく見ていた。そのうちに、ようやく、苦しかったんだ、楽になったんだという言葉が浮かんできた。
 ……ああ、でも朝までこのままにしておくわけにもいかない、きれいにして箱にでも入れてやろう、そう思って時計を見ると十一時二十二分だった。少しでも体を休めたほうがいいので、母にはあとで知らせればいいと思った。
 適当な箱を探して片づけごとをしていると、またいろいろなことが思いだされてくる。鶏の骨を食べて腸を悪くしたときのこと。機嫌のよいときは自分の尻尾をおいかけてクルクル回っていたこと。ゴキブリを見つけると吠えて教えてくれたこと。家から脱走して近所のお茶屋さんの犬のところになぐり込みにいって返り討ちにされたこと。初めての踏み切りで電車の通過にびっくりし、二度と渡ろうとしなかったこと。夢を見ながら吠え、走るように足を動かしていたこと……。自分で思っていた以上の彼の存在の量と大きさに、茫然と心をさらしつづけた。
 手を休めると、部屋はしんとしている。さっきまでの呼吸の音が消えたという事実が、どこまでも冷たく寂しかった。近所の犬が猫でも見つけたのだろう、元気のいい吠え声が聞こえてきたときには、片づけを続けられなくなってしまった。

 一時前になったころ、一段落し、雑巾を洗っていると母が起きてきた。ドンの死を告げると「やっぱり……」と言って泣き崩れた。とにかくしっかりして、今夜はちょっとでも寝て、元気になってくれと言って部屋に帰した。そのあとは一人でお通夜をしてやるつもりで、ドンのそばで酒を飲んだ。
 ありがとうよ、ドン。おまえのおかげで楽しかったよ、ほんとうにありがとう。あっちへいったら親父でも探してくれ。もう耳が悪くなって顔が腫れることもないから。

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